出雲街道を戦前の地図で辿ってみよう(美作市・勝央町)
「ひなたGIS」は宮崎県が運営しているGISシステムです。前回(佐用町)に続き、この「ひなたGIS」で戦前の地図を見ながら、美作市・勝央町の出雲街道を辿ってみましょう。(なお、この地図は米国スタンフォード大学が所蔵するものです)
道の概況と変遷
美作市や勝央町では佐用町と同様に鉄道は未開通ですが、この区間では国道と旧街道のルートがかなり異なっていて、旧街道と違うルートで道路が整備されたことが読み取れます。
最大の違いは道路が林野経由となっていることです。林野は岡山県北部では津山に次ぐクラスの市街地を持っており、近くの湯郷温泉にも温泉街が既に見られます。また、現在の林野駅付近からは勝間田へ向けて北西に一直線に平野を貫く道路となっており、都市部では路線バスも走るようになっていたこの時期、将来の大量高速交通の時代に備えた道路整備となったことが想像できます。
一方の旧街道の道筋も残っています。単純に江見と勝間田の間を歩くなら林野を経由しない方がはるかに近く、歩く道としてまだ旧街道が健在だったというところでしょう。徒歩の時代と交通機関の時代の過渡期だったと言えます。
なお、この旧街道沿いには現在は中国自動車道が通っています。高速道路によって消失してしまっている部分もありますが、大まかな道筋は今も残されています。この道は旧街道の雰囲気が意外と楽しめる道となっており、また、高速道路の道筋が距離優先の旧街道の時代に先祖返りしたと興味深く感じることもできます。
ため池がたくさん
この地域には昔も今も池が多くあります。もちろんそのほとんどが灌漑用のため池であり、山に囲まれた美作国において、水田開発に大きな役割を果たしてきました。現在の楢原駅周辺にある古池や音田池、現在の美作保健センター周辺にある引谷池や大砂池などが現在と同様に地図に描かれています。
ため池の多い地域では池が一つの文化とでも言うべきものになっており、出雲街道沿線でたくさん語られている後醍醐天皇の伝説の一つとして、勝間田池(轟池)の橋から池にそのお姿を映されたという姿見橋の伝承もあります。楢原の古池でも同じような伝承があるという話も聞いたことがあります。後醍醐天皇の伝説は史実とは言えないものがほとんどですが、「古くから池がある」という地元の歴史を伝えていることは事実と言えるでしょう。
戦後の開発により、轟池は既になく、ため池は減少傾向にありますが、古代から地域の灌漑に大きな役割を果たしてきたため池はこのように古い地図や、ものによっては江戸時代の絵図にさえ描かれており、古道を歩くときの一つの見どころになります。
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