東から三坂峠へ向かう大山道
真庭市久世は出雲街道と大山道が交差し、岡山県内最大の牛市が開かれた町として知られており、現在も博労宿をルーツとする旅館が何軒も残っているなど、その名残が残されています。しかし、東から出雲街道で来て大山まで行くとしたら、久世を経由するのは少し遠回りとなるため、久世をバイパスしてその東を北上していくルートも利用されており、小谷善守氏の「昭和40年代にたどった大山道」でもその道筋が語られています。
目木から北上
真庭市久世エリアの東の中心と言える目木。ここは出雲街道の表街道と脇街道が分かれていた場所であるとともに、北には現在の県道327号に該当する道筋が分岐し、それが大山道として利用されてきました。ここから目木川に沿って北上していきます。
目木川が東の余野地区や鏡野町方面へ向きを変える地点では、北に余川が分かれ、大山道は余川に沿って北上します。
樫西地区の行当は県道65号と県道82号の分岐点となり、県道65号に入って引き続き余川の谷を上っていきます。ここには道標があり、『右 久世 左 目木』とそれぞれの県道の行先を指しています。出雲街道を離れてから県道327号、県道82号、県道65号と辿ってくるうち、典型的な過疎地の雰囲気となってきますが、短い間隔で狭い平地があり、集落があります。何本も通る県道がネットワークになっているのが中国山地らしいところで、古道はそれ以上のネットワークでした。
山生から三坂峠へ
余川の谷を上っていくと、さらにその支流の山生川が分かれるところで、今度は山生川の谷に入ります。この辺りは紙幣の材料となるミツマタの生産が盛んな場所で、県道65号から集落への道が分岐する場所には「樫西和紙工房」があります。
分岐点から2km弱のところに山生の集落があり、集落を抜けると足尾滝があります。水量が少ないことも多いですが、落差も大きい立派な滝です。
自動車が通る道路は足尾滝の少し先までで、そこからは古道の険しい山道となります。七曲りと呼ばれる曲がりくねった道で三坂峠に向けて一気に標高を上げていきます。
現在、この道は足尾滝と三坂山を結ぶトレッキングコースとなっていて、夏でも草木に埋もれてしまうことはありません。部分的には人工的に石を積んで道を改良した跡が見られ、かつて人と牛馬の往来が盛んな道であったことを感じさせます。
三坂峠では道祖神がある峠の少し北で久世からの大山道と合流し、釘貫の集落へ向けて下っていきます。合流点から少し下ったところで振り向けば、『右 久世 左 三しやう』と刻まれた道標があり、山生経由の道筋も重要な大山道であったことを物語っています。
大山へ急ぐ道
今回ご紹介した目木~山生~三坂峠の大山道を久世~三坂~三坂峠の大山道と比べてみると、真庭市旧久世町域だけの違いに収まっており、現代人の感覚ではさほどの差を感じないでしょう。しかし、東からの旅人にとっては、目木から久世までの距離が確実に短縮できるだけでなく、山生の集落までは上り坂なりに穏やかな道のりで久世から三坂経由のルートに比べて険しい山道が歩く距離が短いため、三坂峠越えの所要時間がかなり短くできたのではないかと思われます。
そして地図を見ると、このルートは米子自動車道のルートとほぼ一致していることに気づきます。実際、目木川沿いで3回、余川沿いで2回、山生川沿いで1回と6回も米子自動車道と交差し、三坂峠を越えた先の釘貫小川でまたその姿を見ることになります。時代は変われども発想は同じ、距離を優先したこのルートは大山へ山陰へと急ぐための道と言えます。
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