松江以西の山陰道(出雲市大津町~今市町)
今年(2024)から「出雲街道を歩こう」では、松江から出雲大社までの間を松江杵築往還経由でのご案内に切り替えましたが、山陰道で今市宿まで行くルートも利用されていました。以前の「出雲街道を歩こう」での掲載内容より、松江から今市までの山陰道を簡単にご紹介します。前回の出雲市斐川町荘原から斐川町併川までに続き、今回は出雲市大津町から今市町までです。
旧山陰道の道筋
山陰道は現在の神立橋付近で斐伊川を渡ります。神立橋という名前には神在月に出雲大社に集う八百万の神が出で立つ場所という由来があり、昔から出雲の出入口だったと言える場所です。
神立橋を渡って大津町に入ると、国道184号の南側に旧国道の道筋があります。旧街道の道筋は少しだけ違っていたようですが、道沿いには街並みが連続し、周囲に歴史ある寺社も点在しており、歴史ある町という感じがします。
大津町の西部では高瀬川に沿うようになります。ここに限っては直線ですが、東は南方向への道の分岐点、西は今市宿へ入る手前でそれぞれ曲がることになるので、大曲という地名にもなっています。
鉤型に曲がって今市町に入ると、上町、本町、中町、新町と今市宿の街並みが続きます。出雲市は地方の他都市以上に新しい道路を中心とした新しい市街の賑わいが目立ち、旧街道の宿場から発展してきた古くからの商店街は存在感が失われてかけている状況ですが、それでも部分的にはアーケードの商店街もあり、古い商家も少しは残されていることに気が付きます。
沿道の史跡や見どころ
大津町には古い家屋も残る街並みを形成しています。中でも山田家住宅は出雲市指定文化財となっており、令和6年(2024)に取り壊されてしまいましたが、不昧公として有名な松平治郷が大社参拝をした際に本陣として使用された建物が残っていました。
大津町の大曲には道標もあり、左は「松江 いせ」と山陰道、右は一部欠損していますが「かけや みとや きすき」と雲南市方面の地名が示されています。斐伊川に沿った県道26号の道筋も出雲平野の中心都市と言える今市に向けて多くの往来があったことでしょう。
大津町から今市への市街部では高瀬川沿いに、柳が植えられていたりいくつかの公園が整備されていたりと、散策に適した街並みが続いています。高瀬川は江戸時代に造られた河川で、寛永12年(1635)の斐伊川大洪水の後、斐伊川を宍道湖に流れるように大改修が行われましたが、その後を追うように大梶七兵衛が整備したものです。出雲平野の治水と利水に大きな成果を上げた大梶七兵衛は地元で非常に尊敬されており、駅前大通の県道27号(くにびき中央通り)が高瀬川を渡る付近に銅像も立てられています。