【後醍醐天皇伝説】粟井の春日神社(再掲)
※2024年1月2日の投稿を再掲しています。
出雲街道の沿線地域における後醍醐天皇の伝説は、近世以降の出雲街道の道筋から離れた場所にも多く残されています。前回は美作国南東部の伝説で代表的な大宮神社の大御幸桜(美咲町百々)をご紹介しましたが、美作国北東部にも後醍醐天皇の伝説はあります。
春日神社の御腰掛岩
美作市作東エリアの北部、粟井中地区にある春日神社は長和2年(1013)に建立された歴史ある神社で、現在も地元の人達により大切に祀られています。
その春日神社にあるのが御腰掛岩で、元弘2年(1332)3月16日、警護役の佐々木道誉の勧めにより、後醍醐天皇がこの神社に立ち寄られ、この岩に腰掛けられたとの伝説が残されています。
後醍醐天皇は杉坂峠を越えて美作国に入られたとされ、江見あたりから北上してここに来られたとすると、北に8kmほどの寄り道をしたことになりますが、案内板にはここが京都から西国への街道筋であったとの記述もあるので、その道筋を通られたと考えることもできます。
周辺の名所
粟井中地区およびその東北に隣接する小野地区は中国山地らしい小盆地を形成しており、昭和の合併前に存在した粟井村の中心地区でした。春日神社のある丘陵には春日神社とほぼ同時期に建設された淡相城跡もあり、中世から地域の中心的な機能を持つ場所であったことがわかります。なお、淡相城跡は土塁や堀切などの遺構がはっきりと残されているだけでなく、草刈りなどの整備も行き届いているため、城について特に知識がなくても中世の城郭がどのようなものであったのかがよくわかる場所になっています。
また、美作国東北部では農村歌舞伎が盛んだった地域でもあり、粟井春日座という歌舞伎舞台もあり、古くから地域で受け継がれてきた庶民の文化を感じられる場所でもあります。
[公共交通でのアクセス]
美作共同バス「四ツ角」下車 約300m
(運行は平日のみ)