【後醍醐天皇伝説】姿見橋・露無山・湯大明神
後醍醐天皇の隠岐遷幸の伝説は江戸時代以降の出雲街道から外れた場所に多く存在していますが、もちろん江戸時代以降の出雲街道の沿線でも多くの伝承が語られており、勝間田宿があった勝央町でも姿見橋などの伝説が残されています。
池にお姿を映された姿見橋
美作市から勝央町にかけては多くのため池があります。池に水をためて農業などに用いるという発想はかなり古くからあったため、後醍醐天皇の時代にもこの地域では多くの池があったことでしょう。
勝央町の「おかやまファーマーズマーケット ノースヴィレッジ」のある丘陵から勝間田の市街に向けて坂道を下ったあたりには轟池という池がありました。ここには後醍醐天皇が配流の道中でこの付近に一泊され、翌朝、橋の上に立って池に姿を映されたという伝説があります。
現在は池は埋め立てられ、当時の景色は失われてしまっていますが、昭和47年(1972)までは池と橋が存在しており、写真が残されています。
周辺にも伝説は多い
ノースヴィレッジの西にある低い山は露無山と呼ばれ、後醍醐天皇がこの付近に泊まれれた際に露がまったく下りなかったという伝説があります。
また、ここから勝間田までの途中の田園の中には湯大明神と呼ばれる薬師堂がありますが、近年、勝央町の文化財保護委員によって勝間田付近に温泉が湧いていたことが立証され、さらに資料を研究していくと後醍醐天皇がその温泉に入浴された可能性も高いとの結論が出されていました。
このように勝央町の出雲街道沿いにも後醍醐天皇の伝説は多く語られています。以前にご紹介した美咲町の大宮神社の位置およびそこの碑に記された日程を考えると、勝央町と美咲町の両方を通られたというコースには少し不自然さを感じますが、それでも各地で語られている伝説はそれなりの根拠があって語られているとは言えます。