日野郡の城下町 黒坂
鳥取県日野郡日野町の中心地は根雨。根雨駅には特急「やくも」が停車し、日野町役場が所在するほか、高校や銀行や大きな病院もあります。しかし、日野町にはもう一つ中心的な地区があります。それが黒坂で、日野郡を管轄する黒坂警察署があったり、平成12年(2000)までは日野産業高校(現在の日野高校黒坂施設)も存在していたりと、人口約3,000人を切った町の中心地でもないところに日野郡を代表するような施設が所在しています。これは黒坂の地が一時期日野郡全体の中心地であった歴史が影響しているように感じられます。
関氏5万石の城下町
関ヶ原の戦いの後、伯耆国は中村一忠に与えられますが、一忠は慶長14年(1609)に早逝し、米子藩は改易となります。その所領のうち日野郡の5万石は関一政に与えられ、一政は黒坂に鏡山城と城下町を整備します。関氏の黒坂藩も家中内紛のため、元和4年(1618)に改易され、大名の本拠地としての時代は10年足らずで終わりましたが、その後因幡と伯耆に入った池田氏は重臣を黒坂に配置し、周辺の統治の拠点としました。
江戸時代初期の城下町という点は松江や津山と共通しており、そのミニチュア版とでもいうべき城と城下町が現在も残されています。城跡は黒坂駅の裏にあり、城としての主郭は山の上ですが、陣屋跡までは日野高校黒坂施設または聖神社付近から簡単に登っていくことができます。ここからは黒坂の町が一望でき、地理的にも日野郡のほぼ中央にあたり、日野川が屈曲する天然の要害で、防御と統治の両面において最高の立地であることがよくわかります。
城下町は南北800mほど、東西200mほどで、現在でもその町割りはほぼそのままに残されています。住所表示こそ日野町黒坂ですが、城下町としての町は7つに分けられており、その町名が表示されていることもあって、現在でも城下町らしさを十分に感じられます。
城下に5つの寺
黒坂には狭い城下町のエリアに光明寺、光西寺、正法寺、光徳寺、泉龍寺の5つもの寺があります。1カ所に集められるのではなく、城下町の入口付近に配置されているのが特徴で、有事の際の防御施設としての利用が考えられていました。もちろん宗派も様々で外から入ってきた人々を含め、多くの人々の信仰に対応していました。
その中の一つ、北の町外れに位置する泉龍寺は幕末に尊王攘夷活動をした因伯二十士ゆかりのが寺です。この二十士は同じ鳥取藩の佐幕派の家臣を斬り、そのためにこの泉龍寺に謹慎処分となりました。謹慎中の彼らの残した品々がこの泉龍寺に残っているほか、記念碑も立てられており、日野郡という場所にありながら幕末の歴史に触れられる場所となっています。
このように、城下町の歴史の魅力が詰まっているのが黒坂で、城下町としては珍しくその中心近くに駅もあるので、ご紹介してきた見どころはすべて黒坂駅から徒歩圏内です。当サイトでも度々お世話になっている「奥日野ガイド倶楽部」にも黒坂の町歩きのプログラムがあり、根雨から1駅立ち寄っていただきたい町です。