かつて存在した出雲街道の元禄道標

前回、「出雲街道の元禄道標」として3つの道標をご紹介しましたが、出雲街道には少なくともあと2カ所は元禄時代の道標が存在していました。今回はその2カ所をご紹介します。

美作市上福原にあった道標

江戸時代、播磨と美作の国境は萬ノ乢越えの道(概ね現在の国道179号ルート)が用いられ、国境にも近い土居宿が繁栄しましたが、中世までの出雲街道は杉坂峠経由(概ね現在の県道365号ルート)で播磨と美作の国境を越えていました。しかし、江戸時代になったからと言って国境の人の往来が萬ノ乢越えに100%移ったわけではなく、杉坂峠越えも利用されていたようで、県道365号沿いにも江戸時代の道標がいくつか残されています。

美作側で萬ノ乢越えと杉坂峠越えの道が分岐する場所には、前回の追分や神橋と同様の元禄道標が立っていました。この道標が失われたのはまだ20年ほど前のことであるため、写真も多く残されており、まだ入手しやすい書籍にも記載があります。

「西 是より北播州江出杉坂越」

元禄2年(1691)

交差点には現在は何も残されていませんが、ここから杉坂峠方面の道に入ると、すぐ先で山家川を渡る橋が「杉坂橋」、姫新線を渡る踏切が「杉坂踏切」という名前で、杉坂峠への道であることがわかります。

玉琳の道標

津山から鳥取への因幡道は津山市川崎地区の玉琳という場所で出雲街道から分岐していました。美作国の元禄道標は主要な街道の分岐点に設置されているのが基本ですが、ここはまさにその典型と言える場所です。

「西 是より左因幡道」

元禄2年(1691)

現在、この場所を通る出雲街道も因幡道も細いままで、旧街道の雰囲気を残した生活道路となっています。分岐点には多数の石仏等が置かれており、その中に再建された元禄道標があります。再建ではありますが、サイズも記載内容も本物志向で作られています。なお、現物は津山郷土博物館で保管されているそうです。

玉琳の道標(再建)
玉琳の因幡道分岐点に再建された元禄の道標

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