【郷土の本】後醍醐天皇の道

鎌倉幕府の打倒を目指して失敗し、元弘2年(1332)に隠岐に流された後醍醐天皇。その翌年(1333)には隠岐を脱出して船上山の戦いに勝利、その後、鎌倉幕府は滅ぼされて建武の新政が始まります。

この約1年の間に後醍醐天皇が通られた播磨、美作、因幡、伯耆、出雲、隠岐の国には後醍醐天皇にまつわる多くの史跡があり、また、多くの伝説が語られています。山陰を中心にそれらの史跡・伝承地をまとめたのが本書です。

後醍醐天皇の道

102カ所に及ぶ史跡・伝承地の紹介

本書は、前半に史跡・伝承地の写真、後半にそれぞれの場所の紹介文と文章による解説・考察という構成になっています。最大の特徴は取り上げられている場所の数で、その数は何と102カ所にも及んでいます。

後醍醐天皇の隠岐遷幸および還幸にまつわる話と言えば、史実として確認できている話は少なく、地元で語り継がれている伝説の方がはるかに多いですが、本書ではそれを史実か作り話かを無理に分類しようとせず、淡々と場所の紹介を行っています。その多数の場所の紹介こそが本書の肝であり、一つ一つの紹介文が短く、とても読みやすいのも特徴です。

ここでは102カ所に及ぶ史跡や伝承地のご紹介はできませんが、津山市の作楽神社や隠岐の西ノ島町の黒木御所といった史跡のほか、新見市大佐大井野の天王山や君山や江府町の下蚊屋や御机といった地名、真庭市の醍醐桜や琴浦町の天皇水といった伝承地まで網羅されています。遷幸の道である出雲街道沿いだけでなく、還幸の道である山陰道・因幡街道沿いの伝承地も紹介されています。

十字の詩跡
作楽神社の十字の詩跡
醍醐桜
醍醐桜
御机の案内板
地名の由来が書かれた御机の案内板

伝説から「後醍醐天皇の道」を推定する

あとがきにおいて、『写真にまとめ上げたのは、伝説地を訪ね歩いて頂きたい為でもある。願わくば、この本が旅のテキストとなれば、幸甚である』と書かれており、本書の構成は旅行ガイドのようでもあります。この「旅のテキスト」としてのまとめ作業が結果的にただ個別に語られていただけの後醍醐天皇の伝説をよくまとめることにつながっています。隠岐への遷幸路、京都への還幸路が浮かび上がってきて、まさにタイトルの「後醍醐天皇の道」が見えてきます。

後鳥羽公園
新庄村の後鳥羽公園

とは言え、伝説は伝説。全ての伝承地を一本の線で結ぼうとすると、これは史実ではないと断定できるようなとてつもないジグザグルートとなります。地域の自慢話のように語られてきた伝説、その多くは後世の創作かもしれませんが、伝説が語られるにはやはりそれなりの根拠があるでしょう。そこで、これらを取捨選択しながら「後醍醐天皇の道」を自分なりに推定してみるという楽しみが生まれます。

例えば、院庄から鳥取県に入るまでを考えてみると、現在の国道181号沿いには四季桜や宇南寺太平堂、御水池などがあり、四十曲峠を越えて近世出雲街道に近いルートを通られたという推定もできますが、南寄りにも醍醐桜や後醍醐神社、休石などがあり、新見市を経由して明地峠を越えて鳥取県に入られたという推定もできます。

四季桜
国道181号沿いの四季桜
休石
国道180号沿いの休石

あえて伝説の真偽や後醍醐天皇の通られた道筋を特定しようとせず、観光ガイド本のように史跡や伝承地を列挙することにより、「後醍醐天皇の道」を読者の想像力に委ねようとしているのが本書の面白い点であり、実際に現地を訪れてみたくなります。もちろんこれは多数の史跡や伝承地の場所が記載され、知ることができるからこそ楽しめることです。

本書には足りないところが一つだけあり、それは津山市院庄以東が対象外となっている点です。兵庫県や岡山県北東部にも同様の史跡や伝承地はたくさんあります。これらを加えれば、おそらく合計で150カ所を越える数となるでしょう。「出雲街道を歩こう」の運営を通して繰り返し現地を訪れている私としても、このような「後醍醐天皇の道」のまとめには取り組んでみたいものです。

後醍醐天皇駐輦地碑
兵庫県佐用町の後醍醐天皇駐輦地の碑

『後醍醐天皇の道』

発行 立花書院

発行年 平成3年(1991)

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