踏切名で見る道の歴史(島根県)

踏切には一つ一つ個性豊かな名前が付けられています。出雲街道沿線にあたる姫新線(姫路~津山~中国勝山)、伯備線(根雨~伯耆大山)、山陰本線(伯耆大山~松江)について、興味深い踏切の名前を見ていきましょう。今回は前回の鳥取県に続き、島根県の山陰本線です。

出雲街道を横切る踏切の名称

●米子~安来 門生踏切

門生地区の南で近代の旧国道を横切ります。江戸時代の旧国道は少し西を通っていました。

門生踏切

●米子~安来 新松江街道踏切

安来駅の東で近代の旧国道を横切ります。

●安来~荒島 赤江踏切

赤江地区の西で近代の旧国道を横切ります。

赤江踏切

●荒島~揖屋 荒島踏切

荒島駅の西で江戸時代の旧街道・近代の旧国道を横切ります。

荒島踏切

●揖屋~東松江 揖屋踏切

揖屋地区と出雲郷地区の境界付近で江戸時代の旧街道・近代の旧国道を横切ります。

揖屋踏切

●東松江~松江 津田踏切

東津田地区で江戸時代の旧街道・近代の旧国道を横切ります。

津田踏切

旧国道の踏切と道路の形状

島根県における山陰本線の踏切は単純に所在地名が踏切名になっていることが多く、踏切名によって道の歴史が想像できることは少ないです。ただ、安来駅の東にある松江街道踏切が旧街道からは外れた鉄道開通時の国道の踏切であり、そこに「新」という言葉が付いているのは面白いところで、もちろんこの道は現在では「旧」国道です。

踏切名の話とは違いますが、島根県の踏切で面白いのはほぼ山陰本線と旧国道の交差のしかたで、旧国道の方が踏切の前後で直角に近いカーブをしていることです。(旧国道との交差という意味では)上記5つの踏切はどれもそのような形状になっています。旧街道の道筋を鉄道に譲り、江戸時代の街道の道筋が消滅したというケースは多くありますが、島根県では山陰本線の線路がほぼ旧山陰道のルートであるという場合も多くあります。これらの踏切の前後では江戸時代の旧街道と近代の旧国道の道筋は少し違ったものになっていることでしょう。なお、交通の円滑化や踏切事故の防止の観点から、これらの踏切前後では旧国道の道筋は車社会化が進んだ現在の国道ルートとしては全く採用されることがありませんでした。

~お願い~

踏切は鉄道の安全に関わる設備です。列車の乗務員のことも考えて、列車接近時は踏切内に立ち入ったり線路に必要以上に近づいたりしての写真撮影など、危険な行為はしないようにお願いします。また、遮断機や警報機という列車接近を知らせる設備がない「第4種踏切」では、歩行者であっても必ず立ち止まって左右を確認してから横断してください。

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