【平成の市町村合併】出雲市
平成中期に市町村合併が強力に推進されたことにより、特に地方部では町村の数が大幅に減少し、出雲街道の沿線の市町村も合併により数がかなり減りました。その市町村合併から約20年が経過し、合併によって消滅した市町村名も地名として残ってはいますが、若い世代や地域外の人達の知名度は少しずつ落ちてきているのが現実でしょう。そこで、今一度、平成の市町村合併と合併前の市町村名を振り返ってみます。前回の松江市の西は出雲市です。
出雲市の合併
出雲市←出雲市、平田市、簸川郡佐田町、多伎町、湖陵町、大社町
平成17年(2005)3月22日に新設合併
出雲市←簸川郡斐川町
平成23年(2011)10月1日に編入合併
2020年国勢調査における出雲市の人口
170,266人(対2000年:2.0%減)
2000年国勢調査における出雲市に該当する地域の人口
合計:173,776人
出雲市:87,330人 平田市:29,006人 佐田町:4,576人
多伎町:4,215人 湖陵町:5,813人 大社町:16,020人
斐川町:26,816人
出雲市の合併で特徴的なのが、地方にしては珍しく旧出雲市と旧平田市の2つの市が合併したことです。旧出雲市を中心とした合併ですが、もちろん新設合併の形で、約6年遅れて合併した斐川町も合わせると、新しい出雲市は旧出雲市の約2倍の人口規模となりました。また、人口の減少は少なく、将来的には松江市を上回る人口となる見込みです。
山陰道が旧斐川町から旧出雲市、旧湖陵町、旧多伎町の順に東西に通っており、松江杵築往還は旧平田市から旧出雲市の北部を経由して旧大社町へ続いています。出雲市の中心部はかつての山陰道の今市宿でした。
旧出雲市は出雲平野の中央部に位置し、出雲平野の中心地となっています。山陰本線が電化されているのも出雲市駅までとなり、岡山からの特急「やくも」はもちろん、東京からの寝台特急「サンライズ出雲」も出雲市駅が終点となります。高速バスも出雲市駅を終着としている路線が多く、地域外の大都市ターミナル駅で「出雲市駅」という単語を見聞きする機会が多いです。旧今市宿を引き継ぐ出雲市駅周辺地区の中心商店街は衰退していますが、幹線道路沿いでは郊外型の大型店の進出が盛んです。市域は南に広く、立久恵峡も旧出雲市域です。

旧佐田町は南の産地にあり、雲南市や大田市、飯南町と接しており、島根県の山間の町らしく、たたら製鉄の遺跡も多くあります。
旧湖陵町と旧多伎町は山陰道沿いの町です。両町の人口もあまり多くはなく、国道9号や山陰本線が通っていますが、やはり旧出雲市を境にその西の交通量(輸送量)は少なくなります。一方で、日本海の景色が美しく、旧多伎町の道の駅キララ多伎など、海岸沿いに観光施設が点在しています。旧出雲市と旧湖陵町の間には神西湖があり、かつては斐伊川が流れ込んでいたという潟湖も出雲の地形的特徴を示しています。
旧平田市は地方部では珍しく市の名前が消滅することになりました。宍道湖の北西に位置し、国道9号や山陰本線が通らないどころか、昭和57年(1982)に国道431号が指定されるまでは「国道も国鉄も通らない市」でした。しかし、裏返して言えばそのような立地条件でも市になれるほど栄えていた町だったという見方ができます。その繁栄の面影は「木綿街道」と呼ばれる中心街の街並みに見ることができ、また、国鉄(JR)が通らない中で唯一の鉄道となる一畑電車も運行上の拠点を平田に置いています。市街近くでは宇美神社や平田薬師があり、特に有名な一畑薬師と鰐淵寺も旧平田市域に位置しています。

旧大社町は言わずと知れた出雲大社門前の町で、稲佐の浜や日御碕神社も含め、「神々の国出雲」としての現在の出雲市内の観光地のほとんどを有しています。観光地のイメージが強いものの人口も比較的多く、令和6年(2024)夏の甲子園で大きなインパクトを残した大社高校も旧大社町内にあります。

旧斐川町は約6年遅れで出雲市と合併しましたが、あと少しで市になれるほどの人口を持つ町でした。広い出雲平野を象徴するような町で、国道9号沿いには郊外型の店舗が多く、出雲縁結び空港の所在地も旧斐川町です。出雲村田製作所を筆頭に島根県での生産拠点を旧斐川町域に置いている有名企業がいくつかあるのも発展の要因となっています。一方、旧平田市や旧出雲市にまたがる田園風景の中には伝統的な築地松を持つ民家が点在しているほか、全国でもぶっちぎりの358本という銅剣が出土した荒神谷遺跡もあり、出雲平野において昔から多くの人が暮らす場所だあったことも感じさせます。
