【平成の市町村合併】佐用町

平成中期に市町村合併が強力に推進されたことにより、特に地方部では町村の数が大幅に減少し、出雲街道の沿線の市町村も合併により数がかなり減りました。その市町村合併から約20年が経過し、合併によって消滅した市町村名も地名として残ってはいますが、若い世代や地域外の人達の知名度は少しずつ落ちてきているのが現実でしょう。そこで、今一度、平成の市町村合併と合併前の市町村名を振り返ってみます。前回の姫路市・たつの市の西は佐用町です。

佐用町の合併

たつの市←佐用郡佐用町、上月町、南光町、三日月町

平成17年(2005)10月1日に新設合併

2020年国勢調査における佐用町の人口

 15,863人(対2000年:29.1%の減少)

2000年国勢調査における佐用町に該当する地域の人口

 合計:22,377人

 佐用町:8,789人 上月町:5,606人 南光町:4,567人

 三日月町:3,375人

広い兵庫県でも最下位に近い人口減少率となっています。平成21年(2009)の台風21号で20人の方が亡くなられ、甚大な被害に遭ったため、やむなく佐用町を離れた方も多かったでしょう。

出雲街道は東から旧三日月町、旧南光町、旧佐用町、旧上月町の順に4町全てを通っています。出雲街道と因幡街道は旧南光町内で分岐し、旧三日月町に三日月宿、旧佐用町に出雲街道の佐用宿(因幡街道は平福宿)があります。また、姫新線の駅も三日月駅、播磨徳久駅、佐用駅、上月駅と、各町の中心近くに1駅ずつあります。

旧三日月町は乃井野に陣屋が置かれ、江戸時代には小さな藩の陣屋町でした。三日月宿は少し離れた場所にあり、現在でも陣屋町や宿場町の面影がよく感じられます。また、町の中心近くの三方里山には町名にちなんだ三日月型の植え込みがあり、国道179号や姫新線からもよく見える町のシンボルになっています。

三方里山の三日月
三方里山の三日月

旧南光町は船越山南光坊瑠璃寺が由来となった町名です。共産党員の町長が独自性のある政策を打ち出し、長年続けてきたことも特徴で、代表的なものがひまわり栽培です。現在では佐用町全体でも代表的な観光資源となったひまわり畑はすべて旧南光町内にあります。また、千種川に沿って南北に長い町域となっていて、町名の由来となった瑠璃寺は宍粟市の旧千種町との境近くにあります。

南光のひまわり畑
南光のひまわり畑

旧佐用町は佐用郡内で最も人口が多い中心地でした。高校、総合病院、中国自動車道のインターチェンジなど、佐用郡内で旧佐用町にしかなかったものは多くあります。かつて姫新線を走っていた急行「みささ」「みまさか」も佐用郡内では佐用駅にだけ停車していました。因幡街道の平福宿や国指定史跡の利神城跡、西はりま天文台も旧佐用町内にあります。

因幡街道平福宿の川端風景

旧上月町は中国地方との境に位置し、戦国時代末期には織田信長(羽柴秀吉)方の諸将と毛利輝元方の諸将が上月城を巡って激戦を繰り広げた場所です。また、里山の自然に恵まれており、菖蒲園や蛍観賞などが知られています。

上月城跡の登城口
上月城跡の登城口

旧三日月町は三日月推し、旧南光町はひまわり推し、旧佐用町は大イチョウまたは天文台推し、旧上月町は蛍推しなのはわかりやすく、マンホール蓋や姫新線の列車内に掲出されている路線図(龍野北高校の生徒が制作)のデザインにもはっきりそれが表れています。

姫新線の車内デザイン路線図(写真は平成27年(2015)のもの)
姫新線の車内デザイン路線図(写真は平成27年(2015)のもの)

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