勝山街並み保存地区の道標
前回、勝山神橋東詰の道標をご紹介しましたが、勝山の道標はそれだけではなく、町並み保存地区には他にも道標があります。
中町の道標
神橋東詰の道標から約200m、中町の交差点に小ぶりな道標があります。
(西面)
「すぐ かみがた」
(北面)
「左 玉雲宮」
文政4年(1821)
北から見て直進が出雲街道であることを示しており、左は旦坂という坂道を上ります。旦坂の上の台地には寺社や武家屋敷が並んでおり、「玉雲宮」とは九尾の狐の殺生石が封じられているという伝説がある社です。
「出雲街道を歩こう」ではこの逆で、玉雲宮の方から町並み保存地区に下りてくるコースをご案内しており、地元勝山の案内板等でもそちらを出雲街道だと案内しているものが多く見られます。これは江戸時代前期と後期では勝山における出雲街道の道筋が違うためで、明和元年(1764)に成立した勝山藩が城下の心臓部を出雲街道が貫通することを嫌ったのか、江戸時代の後期には現在の商店街から中国勝山駅の方に抜けるように道筋が変えられています。この道標は新しい方の道に勝山城下を通過する旅人を誘導するためのものだったと言えるでしょう。

勝山郷土資料館前に保存されている道標
中町の道標がある交差点のすぐ北には勝山郷土資料館があり、その前に岡山元標十九里の里程標と2つの道標が保存されています。ここにある道標は2つとも大山を指しており、私はこの2つの道標が元々どこにあったのかは知りませんが、歴史の道調査報告書に記録されている大山道が通っていない旧勝山町にも、大山道として利用されてきた道筋があり、道標が立てられていたことがわかります。
