乢根の道標地蔵

美作と伯耆の国境の四十曲峠は「東の箱根 西の四十曲」とも言われるくらいの難所で、昭和43年(1968)に開通した延長1863mの四十曲トンネルで一直線に貫く現在の国道181号、東宮殿下(現在の上皇陛下)行啓の記念碑もある明治の旧国道、四十曲という文字通りの曲がりくねった近世以前の出雲街道の3つの道があります。それらの道が分かれるのが四十曲トンネル西側の乢根という場所で、さらにここには備中方面の道も接続しており、道標地蔵が残されています。

備中方面への道を案内

四十曲峠の近世以前の峠道は、現在の国道181号の四十曲トンネル鳥取県側入口付近にあるいくつかの標識の間からの山道で、最初のカーブのところに道標地蔵があります。

「右 備中」

「左 上方」

文政8年(1825)

下半分の文字は一部破損して読み取れず、文政8年(1825)は小谷善守氏の「出雲街道」(第1巻)によるもので、現在、現物からは読み取れません。

国道の改良により、少し場所は移動しているようですが、根雨・板井原方面から見て、左は四十曲峠の曲がりくねった峠道、右は備中方面への県道112号で、まったく不自然さはありません。

乢根の道標地蔵
乢根の道標地蔵

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四十曲峠は美作と伯耆の国境として知られますが、この場所は備中国境にも近く、ここから県道112号で国境(県境)まで約1.6km、大佐大井野地区最初の集落の君山まで約2.8kmです。

ところで、君山という地名は後醍醐天皇の隠岐遷幸の伝説の一つで、大佐大井野地区は後醍醐天皇にまつわる伝説が集中しています。3つの国の境近くでも3つの道筋があることから、新庄・板井原・大井野の組み合わせだけでも3通りの配流ルートが推定できますし、そのことはこのように山深い場所にも様々な旅人が通っていたということでもあります。

備中(新見市大佐大井野)への県道112号が分岐
備中(新見市大佐大井野)への県道112号が分岐

失われた集落に残る歴史

このように乢根は3つの国の境に近い交通結節点でした。現在では朽ちた廃屋が一軒残っているのみで、集落は消滅してしまっていますが、谷の国道の南側には現在も守られていると思われる墓地があります。小谷善守氏の「出雲街道」(第1巻)では乢根に住んでいた当時の古老たちの話が掲載されており、現在の国道開通前には5軒の家があったことや茶屋が繁盛していたことなどが生き生きと語られています。

現在は消滅してしまった乢根という交通結節点の集落。その歴史は廃屋と墓地、そして「上方」「備中」を刻む道標地蔵が後世に語り続けています。

乢根に生きた人々の証は残る
乢根に生きた人々の証は残る

出雲街道・大山道と周辺の道標マップ

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