倉敷市南部の大山道道標
大山道と言えば、鳥取県各地からの各ルートに加え、岡山県岡山市足守から北上するルートが鳥取県と岡山県の「歴史の道調査報告書」に記録され、広く知られています。しかし、大山を示す道標はもう少し遠く、倉敷市南部にもあります。
二日市の道標
倉敷駅から南東に3kmほどの二日市地区、低い丘陵の麓の交差点に道標があります。
(北面)
「左 あまき 由か 金飛ら 四國 道」
(東面)
「右 くらしき 松山 足も里 大せん 道」
(西面)
「左 日間やくし道」
すぐ近くに日間山薬師院法輪寺があるため、その分岐の案内をメインとしている道標ですが、道標に刻まれた多くの地名を見ると、法輪寺が広範囲から参拝客を集めていたこと、その麓を通る道に多くの往来があったことを想像させます。
亀山地区丸池の道標
二日市の道標から南東へ道なりに1km少々、亀山地区の丸池と呼ばれる場所の交差点にも道標があります。
(西面)
「左 きびつ く者んをん をかやま」
(北面)
右指差し「つらしま 五けんや 玉しま」
左指差し「ゆが 下村 田の口」
(南面)
「すぐ あしもり まつやま 大せん」
大きな道標ではありませんが、びっしりと文字が刻まれています。概ね岡山近郊の地名が案内されている中で「大せん」の文字がよく目立ちます。
亀山地区三ノ割の道標
丸池の道標からさらに200mほど南東の交差点にも道標があります。
(西面)
「右 四国こんぴらみち ゆか志もむらみち あまきみち」
(南面)
「左 いづも大せんみち まつ山阿しもりみち くらしきみち」
文政5年(1822)
丸池の道標より立派な道標で、道標としての案内は西と南の2つの面に限られており、古い道はここで西から南へ向きを変えていたと想像できます。
四国からの大山道か
今回取り上げた3つの道標があるあたりは倉敷市の倉敷・茶屋町・児島・水島・玉島および岡山市からの道が絡み合っています。また、岡山県南部の代表的な社寺の一つと言える由加山も近くにあります。私はこの地域については不勉強なので詳しいことはわかりませんが、昔の道標がかなり多く残っていることだけは間違いありません。
遠く大山から南南東に向かって久世へ、南に向かって足守へと続く大山道を延長してみると、大山を指す江崎の道標がある備中国分寺付近や倉敷市街の東を通って二日市地区や亀山地区に至ります。そしてさらに南には四国の玄関口である児島や下津井があります。大山の牛馬市には讃岐(香川県)からも人が来ていたと言われており、今回ご紹介した3つの道標が並ぶ道は、四国からの大山道だったと言えるのかもしれません。