美作市の出雲街道一里塚
江戸時代初期に全国の街道に整備された一里塚。出雲街道は参勤交代にも利用された街道なので、もちろん全区間にわたって一里塚が整備されていました。当時の絵図等には一里塚が描かれ、現在でも一里塚が保存されていたり、跡地に標柱等が整備されていたりして、史跡として守られているものも多いです。一方で、現在では痕跡すらも残されてないものもありますが、そういったところも含めて、出雲街道の一里塚の場所と現状をご紹介していきます。まずは美作市内の一里塚です。
なお、美作国の一里塚については、「美作地域歴史研究連絡協議会」(略称:美作歴史ネット)により、「美作の道標と出雲往来一里塚」が刊行されていますので、その内容に従ってご案内することになります。
なお、「出雲街道を歩こう」では「【推定イメージ】出雲街道の道筋と一里塚(Googleマイマップ)」を作成していますので、そちらもご参照ください。
土居の一里塚
所在地:美作市土居
現状:県指定史跡(松・榎あり)
播磨国から美作国に入って最初の一里塚は、国境の宿場町として繁栄した土居宿を西に出たところにあります。この一里塚は江戸時代の一里塚がそのまま残っており、北塚の松、南塚の榎も植え替えられ続け、当時の姿を現在も保っています。
県指定の史跡だけあって、標柱や案内板も整備されています。また、土居地区では「出雲街道土居宿を後世にのこす会」が長く活動を続けておられ、この一里塚の管理も行ってくださっています。
江見の一里塚
所在地:美作市江見
現状:目印なし
土居宿の西の出口から江見の街の東の入口までがおよそ一里で、江見市街に下っていく警固屋坂を下りきったところに一里塚がありました。現在、現地には何もありませんが、美作市歴史文化財研究会が整備した「美作市出雲街道歩行マップ」では付近に移設された一里塚の六地蔵について記載されています。
楢原の一里塚
所在地:美作市楢原上
現状:約30m東に標柱あり
出雲街道の中でも土居宿と勝間田宿の間の距離は四里と長く、もちろん一里塚も4つあります。また、中間点にあたる楢原は間の宿としてちょっとした街並みが形成されており、その街並みの西端に一里塚がありました。
現地に案内板等はありませんが、少しだけ東に「出雲街道再発見の会」が設置してくださった標柱が立っており、十八間西に一里塚があったことを示しています。また、人枡とは参勤交代の行列の人数を数えるためのもので、街並みの東西にこの人枡の跡があるのが楢原の特徴となっています。
鍛冶屋逧の一里塚
所在地:美作市中尾
現状:標柱あり
楢原から勝間田までは中国自動車道に沿った道筋で、美作市西端の中尾地区では中国道の南側に旧街道らしい雰囲気を残した道が続きます。上相地区の谷を過ぎ、上り坂を上り切ったところに鍛冶屋逧の一里塚がありました。この付近ではカナクソが見つかっているそうで、かつて製鉄が行われていたとされています。