日野川左岸の出雲街道
今年(2024)から「出雲街道を歩こう」では、米子市南部の出雲街道を車尾の渡し経由のルートでのご案内に切り替えましたが、八幡の渡しで日野川を渡るルートもあります。こちらは「歴史の道調査報告書」でも採用されているルート、で以前の「出雲街道を歩こう」での掲載内容より、日野川左岸を通る出雲街道を簡単にご紹介します。
日野川の堤防を行く
八幡の渡しは米子市八幡地区と東八幡地区を結んでいました。現在はほぼ同じ場所に八幡橋が架けられています。出雲街道はここからほぼ日野川に沿って北上する道筋でした。堤防が改良を重ねられていることもあって、堤防道路を歩いても旧街道の面影はほとんど感じられませんが、大山と日野川の眺めは存分に楽しめる気持ちの良い道です。
瓊子内親王ゆかりの安養寺もある福市地区
出雲街道にも近い安養寺は後醍醐天皇の皇女である瓊子内親王が開いた寺とされています。内親王は隠岐に配流となった後醍醐天皇を追って来られたものの、隠岐に渡ることは叶わず、16歳の若さで出家してこの地にとどまりました。その後、建武の新政後も京には戻らず、この地で24歳で亡くなられたと伝えられています。境内に内親王の墓があるほか、寺には瓊子内親王の木製座像や後醍醐天皇の画像も伝わっており、後醍醐天皇伝説が多く伝わる出雲街道沿線の中でも、ここは明確な史跡と言えます。
出雲街道からは少し離れますが、福市地区には福市考古資料館や公園も整備されている福市遺跡もあり、その周辺地区も含めて古代の遺跡が多くある場所です。
米子平野の水の要
福市地区の北端では法勝寺川が近づいてきて、集落がなくなります。上流で鉄穴流しが盛んに行われていた影響もあって、この付近で2つの川が氾濫を繰り返し、流路を変えてきたことでしょう。現在、この場所には米子市水道局の施設があり、日本一おいしいとも評価される水道水の供給拠点となっています。また、ここからは人工河川の米川が始まることとなり、この場所は治水と利水の両面における米子平野の要と言えます。
法勝寺川を渡ると日野川から離れ、米川に沿って車尾地区へ進みます。米川は江戸時代中期に約60年の歳月をかけて整備された人工の河川で、米子平野を南北に貫き、河川らしい河川のない弓浜半島方面(境港市方面)の重要な水源となっています。川幅は水路とあまり変わらず、洪水の危険がないよう流量も調整されているので堤防もありませんが、「川」と呼ぶにふさわしい水量が豊かに流れています。水を利用するための人工河川らしく、住宅の側を流れ、階段や小橋が多く見られる景観は独特のものがあります。
車尾で山陰道に合流
米川に沿って進み続け米子環状線を名乗る県道300号を横断すると、どらやきドラマチックパーク米子(米子市営運動公園)の様々なスポーツ施設が見え、東山公園駅の脇で米川踏切を渡ります。その先にある交差点で車尾の渡し経由の出雲街道(山陰道)と合流、ここには多くの行先が刻まれた道標があります。