美作市の誕生寺道標
出雲街道を歩いた人々の主な目的地の一つとなっていた法然上人(圓光大師)ゆかりの誕生寺で、前回ご紹介したように、山陽道から出雲街道が分岐する姫路市の下手野や青山にある道標にも「圓光大師二十五霊場」「誕生寺」の文字が見えます。そして姫路方面から誕生寺へ向かう人々は、美作市で出雲街道と分かれ、南西の久米南町にある誕生寺を目指していました。そのため美作市内には誕生寺を指す道標があります。
友野の道標
出雲街道は美作市旧作東町の大還橋で吉野川を渡り、旧美作町では概ね中国自動車道に近い道筋となっているのに対し、誕生寺道は概ね国道179号に近い道筋でかつては倉敷と呼ばれた林野の町を目指します。国道179号が屈曲する吉野川を2度渡り、一時的に左岸に移るる北原地区で県道360号が分岐しますが、その県道360号で東隣の友野地区に入り、友野コミュニティハウスの南の交差点に道標があります。
「右 たん生寺道」
「左 びぜんみち」
西の面には「大坂講中」との文字が見え、大阪から団体で誕生寺に参拝した人々がこの道を利用していたことが読み取れます。また、県道360号はここから南下して県道46号につながり、県南部に通じているので、ここが誕生寺道と備前方面の道の分岐点となっていたことがわかります。

入田の道標
吉野川と梶並川に挟まれた倉敷(林野)の市街地を通り抜けると、梶並川を渡って入田地区に入ります。現在は歩行者・自転車用となっているときわ橋が古くから梶並川に架かっていた恵比寿橋の位置にあり、その西詰に道標があります。美作市歴史民俗資料館に保存されていた道標が令和元年(2020)に現地に再設置されたものです。
「右 津山道」
「左 たん生寺道」
やはり「大坂講中」の文字があり、組織的に道標の整備が行われたことがわかります。現在でも入田交差点は国道179号と国道374号の重要交差点ですが、当時も同様で、ここは倉敷往来や因幡備前往来の交差点でした。

中山の道標
東から来て入田で左折すると湯郷温泉で、その温泉街を抜けると倉敷往来・因幡備前往来は引き続き吉野川右岸を進むのに対し、誕生寺道はいったん北西に向きを変えて中山地区に入ります。その中山地区にも道標があります。
「右 つ山」
「左 たん生寺 道」
友野や入田の道標と比べると小さめの自然石の道標で、「大坂講中」の文字も見られません。ここには常夜燈や地蔵もあり、誕生寺道は常夜燈の間の道で北坂地区の阿津田神社の方に向かっています。

北坂の道標
中山地区の道標から西に進み、阿津田神社がある丘陵を下ったところの交差点の南側に誕生寺道の道標があります。
「左 たん生」(下部欠損)

真新しいコンクリートの台座が造られ、令和5年(2023)の案内板も設置されています。「美作市歴史文化財研究会」のご尽力により、史跡として整備されなおされたようです。この周辺では低い丘陵に囲まれた狭い平地に道が通っており、どこの地区も似たような景色が続き、方向感覚も狂いがちなので、短い間隔で設置された道標が役立っていたことでしょう。

南西に続く誕生寺道の道標
このように、美作市内では誕生寺を指す多くの道標が現存しています。私が実際に訪れて写真を撮ったのは北坂地区の道標までですが、北坂の道標の案内板にもあるように、殿所地区にも道標があります。さらに南西に進んでいった美咲町では行信地区や大戸地区に誕生寺の道標があるため、美作市西部から美咲町東部にかけて南西方向へ進み、現在の県道52号につながる形で誕生寺へ向かう道筋があったことが推定できます。「大坂講中」も組織されて、出雲街道を離れてからの区間に多くの道標が整備されたという歴史からも、当時の誕生寺が多くの信仰を集め、多くの人の旅の目的地となっていたことがよくわかります。
※誕生寺のクラウドファンディング(令和7年(2025)2月末まで)