尾高道の道標(尾高地区)

尾高道は米子と大山を直結する道筋で、大山道の中でも特によく利用されていたといえそうな道です。特に尾高地区は今年(2023)国の史跡に指定された尾高城跡や大神山神社もあり、日野往来とも交差するという一大拠点で、その尾高地区には多くの道標が残されています。すべて歩いて回っても30分もかからない程度の範囲内にこれだけの道標が集まっているのは大山道の沿線でもこの尾高地区くらいのものです。

尾高交差点の道標

尾高地区では大山道を引き継いだ県道24号と日野往来を引き継いだ県道53号が交差します。その交差点は尾高交差点と100mほど南東の大山入口交差点で、尾高交差点の方に常夜燈と道標があります。

「右 大山道」

「左 因幡道」

安政5年(1858)

脇の常夜燈が平成12年(2000)の鳥取県西部地震で崩壊したため、修復の上で約10m南から移動してきたものです。向きはほぼ合っており、尾高交差点では米子方面から来て左が鳥取方面、右が大山方面となります。

尾高交差点の道標
尾高交差点の道標

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尾高の常夜燈

尾高の町にはもう一つ、台座が道標となっている常夜燈があります。場所は黒住教尾高教会所の前で、『米子の道しるべ散歩』によれば、かつては100mほど西の交差点に立っていたそうです。

「東 大山道」

「南 ミぞ口」

「北 よなご道」

「西 さくばミち」

文政8年(1825)

東の大山、南の溝口(日野郡)、北の米子が案内されており、尾高が日野往来と大山道が交差する交通の要衝であったことがよくわかります。

尾高の常夜燈
尾高の常夜燈

石田に2つの道標

同じ尾高地区内で、県道53号の東は石田という集落です。その石田の大山道沿いに2つの道標があり、米子方面から県道53号を横断し、大山道を200mほど進むと最初の道標が立っています。

「右 よなご」

「左 やわた」

シンプルな行先案内だけの道標で、ここから西南西に進むと、「八幡の渡し」があって江戸時代からの交通拠点であった東八幡および八幡地区に至ります。

石田の西の道標
石田の西の道標

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大山方面へさらに100mほど進むと次の道標があります。

「右 まる山道」

「左 大山道」

同じく行先案内だけのシンプルな道標ですが、こちらは米子方面から来たときに見る道標です。現在の位置から見ると直進が大山道で、右折すると大山山麓地域を統治していた代官所があった丸山に至る道です。

石田の東の道標
石田の東の道標

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