大井野の道標と蓬の道標

乢根の道標地蔵でご紹介したように、四十曲峠のすぐ西にかつて存在した日野町板井原地区の乢根集落では国道181号に県道112号が接続しており、美作国(岡山県真庭郡新庄村)との国境だけでなく備中国(岡山県新見市)との国境もすぐ近くにあります。新見市最初の集落は大佐大井野地区の君山集落で、大井野、君山とも後醍醐天皇の隠岐遷幸の伝説に基づいた地名です。

大井野の道標

後醍醐天皇の伝説が多く語られている大佐大井野地区は、陰陽連絡に利用されるような道路や鉄道が通っているわけでもなく、一見すると後醍醐天皇が通られたとは思えないような立地です。しかしながら、狭いながらも平地があり、そこには3本の県道が通っており、中国山地の中で古くから道の通過点となっていた場所とは言えそうです。その大井野の集落の西端近く、県道317号と県道443号が分かれる交差点に道標があります。

「右ハ大せん道」

「左ハ備後道」

右が県道443号、左が県道317号の道筋です。県道443号は西の千屋井原地区、県道317号は南西の千屋実地区でそれぞれ国道180号につながります。

大井野の道標
大井野の道標

Googleマップで見る

蓬の道標

大井野の道標から県道443号で市倉峠を越えると、千屋井原地区の蓬集落に出てきます。なお、この市倉峠は場所を選ばなければ離合できない山道ですので、自動車を運転するときは十分に注意してください。集落の東端近くの交差点にお堂と念仏が大書された道標があります。

「右ハ伯州大せん道」

「左ハ備中はなみ道」

享保19年(1734)

年代の割に立派な道標です。左は県道443号の道筋で千屋井原地区の北西の千屋花見地区を指しているものと思われます。面白いのは右の道で、この場所から北上する道は集落を過ぎると地理院地図で点線で描かれる道となり、現在も通れるのかは不明ですが鳥取県日野町につながっています。その位置関係から、国道180号の明地峠とは別の道筋に大山道があったことがわかります。

蓬の道標
蓬の道標

Googleマップで見る

新見市の鳥取県境に多くの道の存在

この2つの道標があるのは国道沿いでもなければ、平成の市町村合併の前の町村の中心地区であったりもしない集落です。それどころか旧新見市北部と旧大佐町北部の間の交流も少ないのか、県道443号の市倉峠は通る車も稀な峠道です。

しかし、両方の道標に見える「大せん」の文字は歴史の道調査報告書に取り上げられていない大山道の存在を示すものと言えます。また、後醍醐神社等がある大井野から市倉峠を越えて井原地区を抜けると花見地区には後醍醐天皇の休石があり、この2カ所の伝説は自然につながっており、その道筋は古い道標によって示されているとも言えそうです。いずれにしても、新見市から鳥取県に抜ける道筋は現在でもよく利用されている国道180号や県道8号だけでなく、様々なものがあったことがよくわかります。

※今回ご紹介した大井野と蓬の道標は「出雲街道を歩こう」管理者が現地で見つけてGoogleマップにアップしたもので、現在まで書籍やネットによって情報を確認できていません。文字読み取りの誤り等がありましたらお知らせいただけますと幸いです。

出雲街道・大山道と周辺の道標マップ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

道標

次の記事

勝山神橋東詰の道標