坊領道の道標(大山町 西坪地区)

坊領道は山陰道や日本海岸の各町と大山を結ぶ道で、主なルートとしては淀江からの道、福尾や所子からの道、御来屋からの道があり、大山町の坊領から一筋の道となって大山に向かっていました。このうち、御来屋からの道は西坪地区で山陰道から分岐しており、分岐点付近に2つの道標が残されています。

山陰道からの分岐点の道標

御来屋は古くからの港町で、山陰道には御来屋宿があり、後醍醐天皇が隠岐から脱出して到着した場所ともされています。その御来屋の市街の東が西坪地区で、山陰道は北の国道9号や山陰本線、南の山陰自動車道の間を東西方向に通っています。その山陰道から南西方向の道と南南東方向の道が分岐する交差点があり、南西方向の道に少しだけ入ったところに道標が立っています。

「左 大せん道」

文化4年(1807)

西坪の山陰道分岐点の道標
西坪の山陰道分岐点の道標

出雲街道から大山道(溝口道)の分岐を示す溝口の道標と同様に、「大せん道」を大書した非常にわかりやすい道標です。溝口の道標より80年以上古い道標で、19世紀初頭には分岐をはっきり知らせる必要があるほど多くの人々が大山に向けて歩いていたと想像できます。

道標としての案内内容はシンプルですが、この道標にはたくさんの文字が刻まれています。「大山みち ~道標と石地蔵が語る大山信仰~」から引用させていただくと、『この身今はわがものと笠さげて立ちながら月涼しけつまづいたらそこに寝ん 右こち庵梅下書と見れば うせにけり行えもしらずなりにけり ははき坊書』と書かれているそうです。19世紀初頭の文学碑とも言える道標です。

多くの文字が刻まれている
多くの文字が刻まれている

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すぐ南にもう一つ道標

道標に従って山陰道から南西に分岐する大山道に入ると、200mほど南の交差点に山陰道分岐点の道標と比べるとかなり小さな道標があります。

「右ハ 大せんみち」

「左リハ やまみち」

山間部にありがちな「山道」の道標です。ここは田畑の中にあって見通しの良い場所ですが、北から来ると正面やや左に大山が見え、どちらに進んでも似たような景色が続くので、間違いやすいポイントとして道標が置かれたという感じがします。

南の道標
南の道標

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