吉ヶ原の元禄道標

出雲街道の追分・勝山因幡備前往来の豊久田・河原・柿・高円のものをご紹介してきた元禄の道標は、17世紀という古い時期に美作国の主要な街道にまとめて整備されており、全国的にも貴重な存在です。その元禄道標は美咲町の吉ヶ原にも残されています。

吉ヶ原の元禄道標

吉井川の畔に位置し、備前国にもかなり近づいてきた吉ヶ原は、吉井川沿いの道と高瀬舟の水運、大崎・百々方面からの道、倉敷(林野)方面からの因幡備前往来が集まり、周匝から備前に入っていく交通の要地でした。その吉ヶ原の集落を東に出たところに元禄道標が立っています。

「東 是より北くら志き道」

元禄2年(1691)

吉ヶ原の元禄道標
吉ヶ原の元禄道標

くら志きとは現在の美作市の中心部である林野のことで、備前の方から来た人に現在の美作市(→鳥取県)方面へ分かれる因幡備前往来を案内しています。なお、この道標は元の位置より170mほど東に移設して保存されています。

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因幡備前往来が分岐

現在、吉ヶ原地区から藤田上地区を経由して美作市や津山市方面へ向かう道は一般的に吉ヶ原地区の西から北上する県道349号が利用されていると思いますが、因幡備前往来は道標が示すように吉ヶ原地区の東から北上する道筋でした。元禄の道標のすぐ北には片上鉄道吉ヶ原駅の跡地に整備された柵原ふれあい鉱山公園があり、公園を北に回り込むと西大寺元標から十二里の里程標があります。

西大寺元標十二里里程標
西大寺元標十二里里程標

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柵原鉱山と片上鉄道

吉ヶ原地区と言えば硫化鉄鉱を産出した柵原鉱山が有名です。鉱山が衰退する昭和のわり頃まではかなり繁栄しており、メイン通りだった県道26号の旧道にかつて商店だったと思われる家が多かったり、当時の社宅と思われる住宅も残されていたりすることにその面影が感じられます。また、鉱石輸送のため、瀬戸内海に面する片上まで片上鉄道が通じており、平成3年(1991)に廃止されるまで地元の足としても利用されていました。柵原ふれあい鉱山公園内の資料館では鉱山の歴史や当時の柵原の人々の暮らしが展示され、旧吉ヶ原駅も駅舎やホームが残されるとともに片上鉄道の車両が展示されており、吉ヶ原地区は柵原鉱山と片上鉄道の歴史を後世に伝える場所にもなっています。

旧吉ヶ原駅の駅舎
旧吉ヶ原駅の駅舎

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