伯耆町荘地区周辺の道標

伯耆町の荘地区は溝口の南の日野川左岸にあります。出雲街道の道筋からは少し外れていますが、日野川に沿って江尾経由で根雨方面に向かう日野往来は通っていた場所で、多くの道標が残っています。

中祖地区からの別れの道標

県道46号から荘地区や古市地区には、現在ではセンターラインのある立派な道路が通っていますが、その分岐の少し南、旧出雲街道の分岐点に道標があります。

「古市 荘 道」

古市地区や荘地区への道が分岐することを明確にしている道標で、その他の情報が全くないとてもシンプルな道標です。

中祖から荘地区への分かれの道標
中祖から荘地区への分かれの道標

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古市地区との分岐の道標

野上川を渡ると、段丘上にある古市地区への道が分岐します。出雲街道はここで南の二部方面へ分かれていきます。

「右 古市」

「左 庄 江尾」

こちらもシンプルな道標で、木村吉太郎という建立者の名前があります。なお、「溝口の道しるべ散歩」によると、写真左の地蔵も道標としての文字が刻まれているそうですが、同書が発行された昭和55年(1980)の時点でも、文字は読み取れない状態だったようです。

古市分岐の道標
古市分岐の道標

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光音院下の道標

荘地区の集落の南の少し高い位置には光音院という寺があり、隣接する荘中央公民館の前にも道標が保存されています。

昭和12年(1937)

「右 古市 二部」

「左 村中」

光音院下の道標
光音院下の道標

長瀬の道標

荘地区の集落全体の中央付近、荘三公民館のある交差点にも道標があります。

「□ 溝口」

「左 二部」

表面が風化してしまっていますが、読み取れなくなった□は「右」であるのは推測できます。こちらは集落の西の分岐にあった2つの道標と逆に、東から来た人に向けた道標となっています。

長瀬の道標
長瀬の道標

石畠の道標

集落の東端近く、国道181号に接続する昭和橋の少し南の交差点にある道標です。

明治26年(1893)

「右 二部」

「中 村中」

「左 久連 道」

日野往来は昭和橋の付近で日野川を渡っており、日野往来で溝口方面から来て日野川を渡ってきたところで道案内する道標でした。久連とは江府町の中心地である江尾地区の対岸にある地区で、日野往来が江尾のすぐ手前まで日野川左岸を通っていたことがわかります。

石畠の道標
石畠の道標

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多くの道標がある理由は?

荘地区は田舎の一集落でありながら、現在でも確認できるものだけで5つも道標があるというのはなかなか珍しいことです。そしてどの道標も、車尾の道標や二部宮の鼻の道標のような立派なものではなく、小さく内容も少ないものであることが共通しています。

これほどまで多くの道標があるのは、正確な地図もなく、まして地図を持ち歩くこともできなかった時代に、西の出雲街道と東の日野往来という2つの古道が併存し、荘地区をかすめるように通っていたことが原因ではないかと考えています。人々が道に迷いがちなので道標を作ろうという、地元の小さな親切心がこれらの簡易な道標を多く作ることにつながったのではないかと、個人的な推測に過ぎませんが、そのようなことを想像させます。

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