二川の道標

大山から岡山県に入った大山道(横手道)は、蒜山高原の西端に近い延助の宿場を過ぎ、郷原を経由して鳥居ヶ乢を越え、旧湯原町に入ります。湯原温泉郷のイメージが強い湯原エリアですが、山や湯原湖を隔てた西部は昭和の合併まで二川村という独立した村でした。大山道はその旧二川村を貫いており、道標地蔵がある藤森、今回ご紹介する立石や野田で他の道と交差していました。

立石の道標

旧二川村は北の藤森川、南の粟谷川の二つの川の流域となっていることが村名の由来となっており、役場、中学校、小学校、郵便局などはその中間の立石、向立石という場所に所在していました。周辺の地区からの道が集まり、大山道も通る交差点の脇にあるのが立石コミュニティハウスで、その前に道標が保存されています。

「備ちう」

「いせ」

特に上部の文字が読みづらく、私に解読できたのはこの程度となりますが、右の方に備中、右に伊勢が案内されているのは間違いなさそうです。北の蒜山・大山方面から来て、左に行くと久世を経て上方、伊勢方面、右に行くと美甘を経て備中方面というのは方角的にも合致します。立石は昔から各方面への道が集まるところだったことがよくわかります。

立石の道標
立石の道標

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ところで、立石コミュニティハウスの前にはもう一つ「道は映す村の姿」と刻まれた石碑があります。これは昭和30年(1955)に完成した湯原ダムの補償として行われた道路整備の記念碑です。湯原ダムに沈んだ集落も多い旧二川村において、車社会の到来に先行して当時としては高規格な道路が整備されたと思われ、ダム建設という地域の一大事をプラスに変えようとした当時の人々の思いを感じさせます。

野田の道標

立石から県道322号を1.5kmほど南東へ進むと、野田の四ツ辻と呼ばれる十字路に至ります。ここは北西の県道322号(旧大山道 立石・藤森・蒜山方面)、南西の県道323号(種・見明戸・美甘方面)、南東の旧大山道(禾津・久世方面への近道)、東の県道322号(湯原温泉方面)が出会う場所で、立石と同様に古くからの交通結節点でした。その野田の四ツ辻から南東に向けて旧大山道に入り、種川を渡ったところで東側の斜面を見上げると、少し高い位置に地蔵が彫られた道標が見つかります。昔の道にも思えない場所ですが、何らかの理由があって移動したのでしょう。

「右ハいせ」

「左ハやま」道

文化13年(1813)

大山道において現存する道標が非常に多い時期のもので、同じく地蔵が彫られている藤森の道標地蔵の3年後の建立です。「大山」を指す道標ではありませんが、やはりこの時期に大山道を歩く人々が増えたことを想像させます。

野田の地蔵道標
野田の地蔵道標

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出雲街道・大山道と周辺の道標マップ:当ブログと連動したGoogleマイマップです。

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