久米南町の大山道

岡山県の大山道と言えば「歴史の道調査報告書」にも記録され、「だいせんみちを歩こう」でも取り上げている岡山市北区の足守からのルートが知られていますが、大山道は一本の道ではなく、鳥取県の大山道のように岡山県にも各地から大山を目指す多くのルートが存在します。県南部からの大山道として足守からのルートに次いでよく利用されていたのが西大寺(岡山県東区)や片上(備前市)から赤磐市や久米南町を北上していくルートで、「昭和40年代にたどった大山道」でも紹介されています。今回はこの大山道ルートのうち久米南町をご紹介します。

峠地区の大山貴神社

赤磐市小鎌地区の北端付近には国道484号が通っており、大山道は概ねそこから北に分岐する県道467号の道筋でした。県道467号はしばらく集落の中を通りますが、この集落は一部が赤磐市小鎌地区、一部が久米南町峠地区に属しています。その集落の北端近くに大山貴神社という神社があり、その名前から大山にゆかりがある神社と想像できます。私は訪れたときに発見できなかったのですが、この神社の側には道標があるそうで、「昭和40年代にたどった大山道」では『高さ50センチあまりの自然石である。埋もれているが、文字はかすかに浮んでいる。以前は道に沿ったところにあったが、工事のため移したのだという。表面の泥と苔を落すと、「大仙」にならんで「ゆげ」とある』と記録されています。

峠地区の大山貴神社
峠地区の大山貴神社

里山を縫って津山往来に合流

峠地区の北は山手地区で、集落の南端付近には京尾地区への分岐があり、「右 京尾 左 びぜん」と刻まれた道標があります。北から来た場合の道案内となる道標で、大山道は左です。

山手の道標
山手の道標

この付近の県道467号はカーブを繰り返しながら山間を進みます。集落の間は山道となりますが、集落が比較的短い間隔で続き、なだらかな斜面に田畑があります。国道や鉄道が通るような主要河川の谷筋から離れた場所でもこのような集落が多いというのは吉備高原らしいところです。大山道沿いではありませんが、国道53号やJR津山線の西には観光名所になっているような棚田もいくつかあります。

山手地区の集落
山手地区の集落

山手地区から坂を下っていくと下二ケ地区で、坂を下りきる直前の交差点には念仏が刻まれた道標があります。北から見て「右 おかやま 左 さいだいじ」となっており、津山方面から見て岡山方面と西大寺方面の道の分かれとなっています。大山道はここから津山往来に合流します。

下二ケの念仏道標
下二ケの念仏道標

「昭和40年代にたどった大山道」によると、下二ケ地区には大山を指す道標もあったそうで、『この道しるべ(注:下二ケの念仏道標)から50mほど坂を登りきったあたりの田んぼの土手に、「だいせん」と記された道しるべがある』と記載されています。その場所を探してみると、文字が全く読めないので該当の道標かどうかはわかりませんが、半分以上埋まった状態で道標らしき石が見つかります。

大山の道標?
大山の道標?

津山往来を北上

津山往来と合流した大山道は誕生寺川の谷の穏やかな道となりますが、国道53号の全間交差点から少し北は東の山が川沿いまで張り出しており、「大山歩危」と呼ばれるちょっとした難所でした。その大山歩危を過ぎると弓削の町に入ります。弓削は津山往来の宿場として栄えてきた町であり、大山の牛馬市の際には大山道の博労宿としても利用されるとともに、牛市も開かれていました。現在も弓削は久米南町の中心地区で、弓削駅には津山線の快速「ことぶき」も全て停車します。

弓削の街並み
弓削の街並み

弓削の町を過ぎると、大山道(津山往来)は誕生寺川に沿ってほぼまっすぐに北上します。久米南町の北部で有名な場所と言えば誕生寺で、『平家物語』でも有名な平敦盛との一騎打ちで知られる熊谷直実が法然の弟子となり、建久4年(1193)に法然上人の生誕地に建立した寺です。誕生寺への参道入口には貞享5年(1688)という非常に古い道標が残されています。ここから大山道は峠とも言えないような峠を越え、旭川水系の誕生寺川の谷から吉井川水系の皿川の谷に移り、美咲町(旧中央町)に入ります。

誕生寺の道標
誕生寺の道標

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

道標

前の記事

美咲町の誕生寺道標
道標

次の記事

吉ヶ原の元禄道標New!!