久世の真賀湯原道標
真庭市久世は出雲街道と大山道が交差しており、岡山県内最大の牛馬市が開かれていた場所でもあります。そんな久世にも「大山」の文字こそないものの大山道の道標が残されています。
久世の真賀湯原道標
久世市街の大山道は中川橋で旭川を渡り、出雲街道にいったん合流した後、100mほど西から北に向きを戻します。国道181号、続いて姫新線の線路を渡り、さらに200mほど北、北町公園の東の交差点に道標が立っています。
「右 ゆ者ら道」
「左 ま加みち」
寛延4年(1751)
「ゆ者ら」とは湯原のことで、現存する道標としては古い部類に入る道標だけに字はやや読み取りづらいです。元は70mほど南に建てられていたそうです。
興味深いのは同じ国道313号沿い、同じ湯原温泉郷の真賀と湯原が別の道で案内されている点です。真賀は西の山を越えて山久世地区から旭川沿いに北上していくルートが案内され、湯原は「だいせんみちを歩こう」でもご紹介している三坂峠越えの大山道が案内されているものと推測できます。どちらにしても現在では自動車が通れる道路はなく、現在の道路にはならなかった古道がそれぞれ存在していたことを示す貴重な道標と言えます。

久世市街の大山道
久世の町の歴史の道と言えば、よく知られているのは東西方向の出雲街道です。江戸時代の建造物や当時の宿場の雰囲気をよく残しているわけとは言えませんが、久世クラスの町としてはかなり長いアーケードも一部残る商店街となっており、全国的にも貴重な学校建築である旧遷喬尋常小学校と合わせて近代建築やレトロ商店街を好む旅行者の人気も高まっています。また、商店街の西端はかつて牛馬市が開かれていた西町で、当時の博労宿だった旅館がいくつか今も現役で営業しています。

一方、南北方向の大山道については商店が連続するわけではありませんが、今回ご紹介した道標あたりまでは市街地が連続し、立派な古い建築物も点在しているため、出雲街道に次ぐ重要な道として、大山道沿いも古くから発展していたことが想像できます。

「踏切名で見る道の歴史」でご紹介したように、姫新線と大山道が交差する踏切は「倉吉踏切」という名前で、姫新線が開通した大正末期頃には伯耆国への道としてまだまだ大山道が現役だったことが想像できます。
また、倉吉踏切の北の民家にはお滝様(興禅寺奥の院)へ三十丁という道標も見られます。距離としては合っていますが、民家の敷地内にあるので、おそらくこの民家の方が付近にあった道標を保存してくださったものでしょう。(このお滝様の道標を見に来られる際は敷地内には入らず、写真撮影もご配慮いただくようお願いいたします)

出雲街道・大山道と周辺の道標マップ:当ブログと連動したGoogleマイマップです。