【郷土の本】昭和40年代にたどった大山道

大山道については、鳥取県および岡山県の「歴史の道調査報告書」により、その道筋と沿線の史跡や文化財を知ることができますが、それ以外、一般に出回っている書籍はほとんどありません。本書は著者であり津山朝日新聞の記者であった小谷善守氏が26年にわたって津山朝日新聞に連載してきたシリーズの一つで、昭和46年(1971)から昭和47年(1972)まで続いた大山道に関する連載をまとめたものです。

一筋ではない岡山県の大山道

大山道は日本最大の牛馬市も開かれていた大山への道を指す言葉で、一本の道のことではありません。本書の表紙を開けば、まず「本書でたどった大山道」と題して、何本もの大山道とたくさんの地名、そして大山道しるべが描かれた岡山県の地図が出てきます。作州の道という道をくまなく歩いて記録した小谷善守氏らしく、その道筋について細かく書き出しているのが特徴です。

大山や大山牛馬市と大山道の歴史の大まかな紹介の後、本題は西大寺(現在の岡山市)から始まります。「歴史の道調査報告書」で紹介されている足守からの大山道とは別に、西大寺から赤磐市を南北に横断し、弓削(久米南町)や亀甲(美咲町)を経て出雲街道に合流するという、岡山県南部からの主要な大山道の一つです。出雲街道からは久世ではなく目木から離れるルートを辿った旅人が多かったそうで、目木から北上する道筋についても多くのページが割かれています。

赤磐市町苅田の道標
赤磐市にも大山道の道標がある

次いで紹介されるのは津山市一宮地区からの大山道の話です。美作国一宮である中山神社の近くも牛馬市が開かれていたところで、ここからも大山と結ばれた牛馬の道があり、そこから鏡野町を西へ進んで湯原の方へ抜ける道筋が記されています。

鏡野町にも通っていた大山道
鏡野町を東西に抜けていた古い道筋 地元では「出雲裏街道」として案内板が作られている

後半は足守からの大山道です。こちらは当サイトの「だいせんみちを歩こう」はもちろん、「歴史の道調査報告書」などで紹介され、一般的に岡山県の大山道として知られる道筋なので、情報はたくさんありますが、それでも本書では約半分のページを割いているだけあり、内容がとても詳しいです。そして、鳥取県の下蚊屋や御机、横手道のことに触れ、最後のまとめに入ります。

クツカケ場の地蔵
三坂峠に残るクツカケ場の地蔵

語られる歴史

小谷善守氏の著書の特色は、現地や調査や資料の調査だけでなく、新聞記者らしく地元の古老の話の聞き取りを徹底的に行っていることです。本書ではどの道筋でも主要な経由地で牛馬の道としての大山道について古老の話が登場します。沿道の集落が牛馬市のときに賑わっていたという「あって当然」な話だけでなく、沿道の加茂市場、釘貫小川、禾津土居、一宮などにおけるローカルな牛市の話などもあり、明治~大正時代の記録によってそれを裏付けています。

加茂市場の集落
加茂市場の集落

牛馬市だけでなく、とりわけ現在の真庭市におけるかつての産業や地元で語られている伝承についての記述も大きな読みどころで、産業ではたたら製鉄のこと、郷原漆器や木地師のこと、蒜山のタバコのことなどが語られており、伝承についてもあまり知られていない話がたくさん記載されています。

釘貫のたたら跡
釘貫のたたら跡

また、延助から大山まで日帰りしていたといった話も多く、貴重な記録です。参勤交代の道であった出雲街道については松江藩が記録や絵図を多く残し、それらは現在も図書館や博物館等で大切に保管されていますが、庶民が歩く牛馬の道であった大山道にはそのような資料に乏しく、所要日数のような話は経験者の口からしか語られることがありません。

平成末期から令和初期にたどってみると

大山の牛馬市が終わって約85年、本書の元の取材から約50年が経過した現在、実際に大山道をたどってみると、やはり変わったところもあり、何と言っても変わってしまったものと言えば、上に挙げたような古い産業でしょう。牛馬市だけでなく、こうした産業が消滅あるいは衰退したことが中国山地が過疎した原因の一つであるのは言うまでもありません。

しかし、道路とその沿道の史跡はよく残されていることに気づきます。当サイト「だいせんみちを歩こう」の取材で大山道をたどってみると、ここに記載された道標はそのほとんどが今も残されています。道標に関して言えば、国道となった出雲街道よりもよく残されていて、岡山県にも大山を指す道標は20基以上も現存しています。

福沢の道標
吉備中央町に大山道の道標が多数残っている

そしてもう一つ、失われつつあるものとして忘れてはいけないのは大山道を歩いた人々です。本書で歴史や伝承を語られた当時60代や70代の方々はもう既に亡くなられており、戦後に道路整備や車社会化が進む前の大山道を実際に歩いた方々もかなりの高齢になられています。私も江府町の下蚊屋で、歩いて大山へ行った経験があるという80代くらいの方から大山道の話をお聞きできたことがありましたが、10年近く出雲街道と大山道を歩いてきた中でも強く印象に残る貴重な思い出となっています。庶民が歩いた牛馬の道である大山道、沿線地域の住民の方々の体験談こそが最も貴重な記録と言え、数多くの人の話を収録していることが本書の最大の魅力でもあります。

下蚊屋に下る大山道
もう通れない大山道は記憶にのみ残る

『昭和40年代にたどった大山道』

著者 小谷善守

発行 津山朝日新聞社

発行年 平成28年(2016)

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