【後醍醐天皇伝説】笑道峠と花原峠

鎌倉幕府の打倒を目指して失敗し、元弘2年(1332)に隠岐に流された後醍醐天皇。その翌年(1333)には隠岐を脱出して船上山の戦いに勝利、その後、鎌倉幕府は滅ぼされて建武の新政が始まります。京都から隠岐への遷幸の道は概ね出雲街道に沿ったもので、岡山県北部や鳥取県西部に数多くの伝説が残されています。一方、船上山から京都への還幸の道は概ね因幡街道に沿ったもので、後醍醐天皇の伝説は鳥取県東部に多くあります。

後醍醐天皇が笑った笑道峠

後醍醐天皇は因幡国の国府や国分寺があった鳥取市東部の国府町から南下されたそうで、近世の因幡街道である現在の国道53号や国道373号はもちろん、国道29号やJR因美線よりもさらに東となります。鳥取市国府町三入寺地区と八頭町上峰寺地区の間の峠を越えて八頭町に入られたとされています。

この峠は笑道峠という名前があり、後醍醐天皇がこの峠に差し掛かり「やれやれ一安心」と笑ったことがその名の由来だという伝説があり、また「玉越道」という異名もあるそうです。現在では自動車が通り抜けられる道はないのですが、笑道という地名になっており、峠まで梨園が開発されています。


梨園になっている笑道峠
梨園になっている笑道峠
笑道谷という地名は残る
笑道谷という地名は残る

なお、笑道峠という名前の由来ですが、羽柴秀吉の鳥取城攻略の際、ここから南の私都城(市場城)を見て羽柴秀吉(あるいは私都城攻略を担当した加藤清正)が「ちっぽけな城だ」と笑ったという説もあります。こちらの説を採ったとしても、中世にこの峠が鳥取市域と八頭町域を結ぶ重要な道だったことがわかります。

円入寺があった花原峠

笑道峠を越えると私都川の谷に出て、次は県道302号の道筋で八東川の谷を目指す花原峠にかかります。県道の西には円入寺という廃寺があり、後醍醐天皇はここに滞在されました。円入寺跡は山深い場所にあり、私は実際に訪れることはできていませんが、県道から円入寺跡に至る山道の入口に念仏が刻まれた道標があります。また、戦国時代には円入寺城という山城も築かれていたそうです。

花原峠の念仏道標
花原峠の念仏道標

峠を下り切り、八東川の谷に出たところが国道29号の河原インター線西御門交差点です。コンビニを挟んで北東側に旧道(若桜街道)が通っており、交差点付近に八頭町観光協会が設置した円入寺の略図があり、後醍醐天皇の伝説についても記されています。

円入寺跡の案内板

後醍醐天皇伝説の地マップ:当ブログと連動したGoogleマイマップです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

道標

前の記事

三坂峠周辺の道標New!!