【後醍醐天皇伝説】あぶみ岩・口漱ぎの泉

杉坂峠を越える中世の出雲街道ルートは概ね現在の県道365号で、杉坂峠の岡山県側にはいくつかの後醍醐天皇伝説が語られています。

失われた古道に残る伝説

県道365号は杉坂峠の岡山県側で幅員が狭くなってはいるものの、その道筋は戦後に自動車の通る道路として改良されたもので、杉坂史跡が整備された当時はその少し南西側の古道が利用されていました。今回ご紹介するあぶみ岩はその古い道沿いにあります。

現在、杉坂峠から当時の古道には入れないので、中国自動車道の杉坂トンネルの岡山県側入口が見える地点から細道に入ります。写真は西を向いて撮影したもので、この写真の角度では左下が進むべき方向になります。

あぶみ岩にはここから入る
あぶみ岩にはここから入る

中国自動車道の佐用35のトンネルをくぐり、中国自動車道の南へ抜けていきます。草が伸びていて今は誰も通らなくなってしまったような雰囲気です。

佐用35のトンネル
佐用35のトンネル 前後の道は草が伸びている

忘れ去られつつあるあぶみ岩

そうして中国自動車道をくぐると、古道そのものがわずかに残っているような雰囲気の小道に出て、そこに「阿布美岩」の碑が立っています。この碑は昭和10年(1935)のもので、杉坂史跡の整備の少し後です。

阿布美岩の碑
阿布美岩の碑

伝説のあぶみ岩は杉坂池からの小さな流れの脇にある写真左の一対の岩だと思いますが、写真右の岩のような気もします。後醍醐天皇が乗られていた馬の鐙が触れた岩だという言い伝えがあります。

伝説のあぶみ岩
伝説のあぶみ岩

ここに至る道は草も生い茂っていますが、中国自動車道の建設時にあぶみ岩までは来られるようにと地元が要望し佐用35のトンネルで道が守られたそうです。もはや伝説地もそこを通る古道も、伝説地を守るための地元の取り組みも忘れ去られようとしており、いずれは進入すらも困難になってしまいそうな場所ですが、岩や石碑は壊れることなく、まさに苔のむすまでこの場所にあります。そして集落はおろか田畑もない場所につながるだけの佐用35トンネルも残ります。

後醍醐天皇口漱ぎの泉

あぶみ岩の200mほど西、県道365号沿いに後醍醐天皇口漱ぎの泉があります。県道の改良時と思われますが、コンクリート壁の中にその泉だけが残され、石碑が立っています。伝説としては後醍醐天皇が口を漱がれたという泉です。石碑は建武中興600年を記念して昭和9年(1934)に立てられたもので、その旨が記されています。

後醍醐天皇口漱ぎの泉
後醍醐天皇口漱ぎの泉

石碑に記された言葉

あぶみ岩の碑には『御落涙の雫の跡や苔の花』という俳句、口漱ぎの泉の碑に『いたましき行幸のむかし畏くも すすぎとらししこれの真清水』という短歌が刻まれています。これはもちろん後世のもの、そして完全な創作ですが、地元の伝承を受けて詠まれた昭和初期の歴史のストーリーとは言えるでしょう。

この2つの場所は、戦争に突き進みつつあった皇国史観の時代、歴史とは呼べないような伝説に基づいて作られたような場所であり、主流となる歴史観も変わり、科学的な検証に基づく歴史研究も進んだ現在では無価値なものと見做されるかもしれません。しかしながら、その元となる地元の言い伝えがあったこと、時流に乗ってその伝説地を地域の名所にしようとした時代があったこと、それは間違いのない地域の歴史です。

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