【平成の市町村合併】津山市
平成中期に市町村合併が強力に推進されたことにより、特に地方部では町村の数が大幅に減少し、出雲街道の沿線の市町村も合併により数がかなり減りました。その市町村合併から約20年が経過し、合併によって消滅した市町村名も地名として残ってはいますが、若い世代や地域外の人達の知名度は少しずつ落ちてきているのが現実でしょう。そこで、今一度、平成の市町村合併と合併前の市町村名を振り返ってみます。前回の美作市・勝央町の西は津山市です。
津山市の合併
津山市←津山市、苫田郡加茂町、阿波村、勝田郡勝北町、久米郡久米町
平成17年(2005)2月28日に津山市へ編入合併
2020年国勢調査における津山市の人口
99,937人(対2000年:10.4%減)
2000年国勢調査における津山市に該当する地域の人口
合計:111,499人
津山市:90.156人 加茂町:5,478人 阿波村:681人
勝北町:7,512人 久米町:7,672人
津山市が規模として他町村を圧倒し、中心性が高いこともあって編入合併の形となりました。岡山県北部随一の都市として生活の利便性も高いためか、人口減少は比較的抑えられていますが、令和2年(2020)に100,000人の大台を割り、減少傾向であることに変わりありません。
出雲街道は津山市、旧久米町を通っており、津山市に津山宿、旧久米町に坪井宿がありました。津山には姫路および米子・松江方面の出雲街道だけでなく、岡山方面、鳥取方面、倉吉方面への旧街道も集まっていました。
津山市は言うまでもなく美作国の中心となる城下町です。中心市街地における商店街の衰退と平成11年(1999)にオープンしたアルネ津山などの再開発事業が批判的に語られることもありますが、裏返せば地方が衰退していく中では維持が難しいほどの大規模な都市機能が(合併前で)人口10万人未満の都市に存在していたと言えます。高校も6校所在し、津山高専や美作国唯一の大学である美作大学もあります。歴史的な見どころも、桜の名所としても全国的に有名な日本100名城の津山城跡(鶴山公園)を筆頭に、大名庭園の衆楽園、弥生時代の沼住居跡、城東・城西の街並み、作楽神社(院庄館跡)など数多くあります。


旧久米町は久米郡のうち、津山盆地西部の多くの村が合併して誕生した町です。役場があった千代や出雲街道の宿場だった坪井も突出して大きい町というわけではなく、低い丘陵に囲まれた狭い平地に多くの集落が点在しており、国道181号沿いだけでなく南部の国道429号沿いにも集落が断続的に続いています。観光名所としては県指定史跡の大規模な山城である岩屋城跡や神代梅の里公園があり、全長7mのZガンダム模型で有名な道の駅久米の里もあります。

旧加茂町と旧阿波村は鳥取県と接する山間にあります。国道は通っておらず、旧加茂町内には因美線の美作加茂駅、知和駅、美作河井駅の3駅があり、美作河井駅が旧阿波村への玄関口となります。県道6号が旧加茂町のメイン道路ですが、鉄道に並行して津山、加茂、智頭の3つの町を結ぶ1桁の主要地方道にも関わらず県境の物見峠は改良されていない「険道」となります。また、そこから分岐する県道118号が旧阿波村へのアクセスとなりますが、こちらに至っては県境が開通すらしておらず、旧阿波村は実質的に行き止まりの村となっています。このように交通不便な場所ですが、転車台もある美作河井駅とその近くの松ぼうき橋梁(「ぼうき」は山かんむりに川)、難攻不落の矢筈城跡など交通や歴史に関する見どころは多くあります。パワースポットとして有名な大阪のサムハラ神社の奥宮があるのも旧加茂町です。

旧勝北町は勝田郡北部の3つの村が合併した町です。鉄道は通らず、久米町と同様に中心地区がはっきりしない状況ですが、国道53号沿いにはスーパーやホームセンター、飲食店などが点在しており、旧加茂町よりは発展している印象です。隣の勝田郡奈義町に拠点を置く陸上自衛隊の日本原演習場も一部旧勝北町にかかっています。