【平成の市町村合併】松江市

平成中期に市町村合併が強力に推進されたことにより、特に地方部では町村の数が大幅に減少し、出雲街道の沿線の市町村も合併により数がかなり減りました。その市町村合併から約20年が経過し、合併によって消滅した市町村名も地名として残ってはいますが、若い世代や地域外の人達の知名度は少しずつ落ちてきているのが現実でしょう。そこで、今一度、平成の市町村合併と合併前の市町村名を振り返ってみます。前回の安来市の西は松江市です。

松江市の合併

松江市←松江市、八束郡鹿島町、島根町、美保関町、八雲村、玉湯町、宍道町、八束町

平成17年(2005)3月31日に新設合併

松江市←八束郡東出雲町

平成23年(2011)8月1日に編入合併

2020年国勢調査における松江市の人口

 203,616人(対2000年:3.8%減)

2000年国勢調査における松江市に該当する地域の人口

 合計:211,564人

 松江市:152,616人 鹿島町:8,414人 島根町:4,447人

 美保関町:6,781人 八雲村:6,844人 玉湯町:6,114人

 宍道町:9,489人 八束町:4,584人 東出雲町:12,275人

出雲街道の沿線市町村では唯一の県庁所在地です。東出雲町の合併後は人口も20万人を超え、現在は中核市となっています。ただ、近年は人口は減少に転じ、令和7年(2025)1月時点の人口は20万人を切っています。

合併は周辺の8町村を巻き込み、東西南北どの方向にも広くなりましたが、町村はすべて八束郡で、古くからの地域の形を残した形となっています。

出雲街道(山陰道)は旧東出雲町と旧松江市を通っており、旧東出雲町に出雲郷宿がありました。また、松江から西の出雲市へ抜ける古道としては、宍道湖北岸経由の松江杵築往還が旧平田市に向けて通っており、宍道湖南岸経由の山陰道が旧玉湯町と旧宍道町を通って旧斐川町に入っていました。山陰道には旧宍道町に宍道宿もありました。

松江市はもちろん松江城を中心とした城下町で、現存天守を持つ松江城を中心に、堀川めぐり、塩見縄手の街並みなどの見どころが知られています。さらに松江の個性を際立たせているのは宍道湖と大橋川で、「水の都」とも称されています。全国的に宍道湖の夕景が有名であるほか、日本100名橋の松江大橋などの名所もあり、様々な場所からの宍道湖の眺めが大きな魅力となっています。松江が出雲国の中心となったのは江戸時代に松江城下町が成立した後のことですが、古代の史跡も多くあります。

松江城
松江城

旧鹿島町と旧島根町は旧松江市の北に位置しています。意外と地形が険しい島根半島では、その山々の北側の人口は少なく、地元以外の人にとってはなかなか訪れる機会も少ない場所でしょう。地形的に天然の良港となる場所で、日本海に面した港の風景は独特のものがあり、訪れる人を魅了しています。余談ながら、島根原発があるのは旧鹿島町の旧島根町境近くで、合併後の松江市は全国で唯一の原子力発電所と県庁がともに所在する市となっています。

旧美保関町は島根半島の東端の町で、その地理的条件から隠岐への出港地となり、日本海側各地の交易でも古くから繁栄してきました。中でも古くからの歴史を持つ美保関地区は美保神社が信仰を集め、後鳥羽上皇や後醍醐天皇の行在所もある場所で、青石畳通り沿いの街並みは見事です。なお、現在では隠岐へのフェリーや高速船が出ているのは七類港(および鳥取県の境港)となりますが、七類港も旧美保関町です。

青石畳通り
青石畳通り

旧八雲村は旧松江市の南側にありました。松江市と合併した自治体では唯一の村でしたが、松江市街に比較的近いこともあって、新興住宅地も造成されており、合併直前では島根町や美保関町よりは人口も多くなっていました。現在でも路線バスの運行回数は島根半島方面よりかなり多くなっています。

旧東出雲町は旧松江市の東側に位置します。旧東出雲町出身の佐藤忠次郎が創業したサトー式稲扱機をルーツとする農機具の大手メーカーである三菱マヒンドラ農機の本社があること、米子・安来・松江の中間に位置し、国道9号や山陰本線も通ることから、人口も多く、しかも増加傾向にある町でした。松江市との合併に際しては町民の間でも賛否が分かれていたそうで、合併は他の町村より6年ほど遅れることになりました。町内の名所としては神話ゆかりの黄泉比良坂や揖夜神社、ホーランエンヤで有名な阿太加夜神社が知られています。

黄泉比良坂
黄泉比良坂

旧八束町は中海に浮かぶ大根島と江島を町域としていました。牡丹や雲州人参(高麗人参)の栽培が盛んで、日本庭園の由志園が最大の名所となっています。また、鳥取県境港市との間を結ぶ江島大橋は「ベタ踏み坂」として一挙に有名になりました。なお、これは大根島から写真を撮影したときに江島大橋が異常な急勾配に見えるだけで、実際の島根県側の勾配は6.1%と、極端なものではありません。

旧玉湯町は旧松江市の南西の町で、美肌泉質日本一とも言われる玉造温泉が有名なこともあり、松江や出雲を訪れる観光客にも宿泊地としてよく選ばれています。神話の時代から勾玉が造られていた場所でもあり、出雲玉作資料館があったり、勾玉作りの体験ができる施設があったりします。

玉造温泉街
玉造温泉街

旧宍道町は旧玉湯町の西にあり、出雲市や雲南市と接しています。山陰道の宿場であったほか、広島県からの「出雲街道」が接続する場所でもありました。現在でも松江自動車道と山陰自動車道のジャンクション、国道9号と国道54号の交差点、山陰本線と木次線の乗り換え駅はいずれも旧宍道町内にあります。松江と出雲(今市)という出雲の二大都市の中間に位置することもあって、宍道宿は山陰道の中でも拠点となっていたようで、木幡家住宅(八雲本陣)はかなり立派な本陣遺構を残しています。(令和12年(2030)まで改修工事中)

八雲本陣
八雲本陣

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です