【平成の市町村合併】安来市
平成中期に市町村合併が強力に推進されたことにより、特に地方部では町村の数が大幅に減少し、出雲街道の沿線の市町村も合併により数がかなり減りました。その市町村合併から約20年が経過し、合併によって消滅した市町村名も地名として残ってはいますが、若い世代や地域外の人達の知名度は少しずつ落ちてきているのが現実でしょう。そこで、今一度、平成の市町村合併と合併前の市町村名を振り返ってみます。前回の米子市の西は安来市です。
安来市の合併
安来市←安来市、能義郡広瀬町、伯太町
平成16年(2004)10月1日に新設合併
2020年国勢調査における安来市の人口
37,062人(対2000年:18.1%の減少)
2000年国勢調査における安来市に該当する地域の人口
合計:45,255人
安来市:30,520人 広瀬町:9,205人 伯太町:5,530人
米子市と松江市の中間にありながら、人口減少率が高くなっています。ほとんど人口が減少していない米子市とは対照的ですが、国道9号や山陰本線から離れた町を含んだ合併をしたかどうかの差が影響しています。
出雲街道(山陰道)は旧安来市内の中海沿いを東西に通っており、安来宿がありました。
安来は神話に由来する地名で、古墳もとても多くあります。中海に面した旧安来市は古くから港町として栄え、北前船の寄港地にもなっていました。結果として産業と経済の町となり、特に山間部のたたら製鉄と結びついた製鋼技術は近代化の後に安来鋼というブランドの特殊鋼となり、金属工業は今も安来の経済の要となっています。民謡の安来節が全国的に知られているほか、古代出雲王陵の丘公園、清水寺などが市内の名所で、安来港に面した市街地に和鋼博物館もあります。

旧広瀬町は戦国大名の尼子氏の根拠地だった月山富田城が名高く、江戸時代にも広瀬藩という小藩がありました。昭和35年(1960)に廃止されましたが、一畑電気鉄道の広瀬線も通っていました。月山富田城は歴史の舞台として有名なだけでなく、山城としての規模も大きく、日本100名城に選ばれています。また、足立美術館は庭園美術館として日本一とも評価され、現在の安来市内でも随一の観光スポットになっています。

旧伯太町も江戸時代に母里藩という小藩があり、中心地の母里が陣屋町となっていました。こちらも戦時中の昭和19年(1944)に休止(正式な廃止は昭和34年(1959))されるまで伯陽電鉄の母里支線がありました。旧広瀬町ほど有名な観光地はありませんが、チューリップ畑が名所となっています。鳥取県と接する山間部ではかつてたたら製鉄が盛んでした。