【途中下車の旅】美作土居駅(1.昔の設備が残る簡易委託駅)

地域の足として約100年の歴史を刻んできた鉄道・バスも、過疎化や車社会化による利用の減少に加え、近年のコロナ禍や人手不足が追い打ちをかけ、厳しい状況に追い込まれています。そこで、小さな旅を通して、少しでも鉄道を利用していただく参考材料となるよう、各駅から徒歩圏内の見どころをまとめていきます。姫新線(播磨新宮~中国勝山)や伯備線(根雨~伯耆大山)の普通列車の運行頻度が2時間に1回程度なので、2時間で無理なく歩いて駅に戻ることを想定しています。

美作土居駅の概要

設備:ワンマン列車では無人駅扱いですが、きっぷを発売している簡易委託駅で、営業時は近距離きっぷを購入可能です。自動券売機はなく、交通系ICカードは利用できません。

開業:昭和11年(1936)4月8日

令和元年度(2019年度)の乗車人員:21人/日

開業時に建てられた木造駅舎が現役です。

美作土居駅の駅舎
美作土居駅の駅舎

昔の姿を色濃く残す駅設備

美作土居駅は築90年近い木造駅舎だけではなく、国鉄時代の名残を色濃く残しているのが大きな特徴です。途中下車の前にまずはホームを見てみましょう。

現在は単線の駅となっていましたが、かつては行き違いの設備を持っていました。ホームの跡が残る駅は姫新線にも多くありますが、美作土居駅では「江見○」という表示が見えます。これはタブレット閉塞という運転保安の方式の名残で、「○のタブレット」を美作土居駅で列車の乗務員に渡して美作江見駅まで運転することを示したものです。今は鉄道の安全は機械化・自動化されて守られていますが、かつては手渡しされる○のタブレットが美作土居駅~美作江見駅の通行証として絶対の意味を持っており、決して2つの列車に同時に渡されることはなく、それが同区間の列車の安全を守っていました。

タブレット閉塞の名残
タブレット閉塞の名残

駅舎とホーム上屋が一体になっている駅舎も珍しくなってきました。昭和11年(1936)の開業時からの駅舎であることはネットで調べれば簡単にわかる時代ですが、そのことを示す証拠として、建物財産標も見ることができます。

建物財産標に昭和11年の文字
建物財産標に昭和11年の文字

そして改札口にはかつて駅係員が立っていたラッチが残されています。近年では地方においても主要駅では自動改札を設置、閑散駅では改札設備自体を持たない駅が増えているため、このような設備を持つ駅も珍しくなってきています。なお、美作土居駅の簡易委託はきっぷ発売のみで、改札はワンマン運転の列車内で行われているため、このラッチが使用されることはありません。

昔ながらの改札口
昔ながらの改札口

窓口が残る駅

美作土居駅のような古い駅舎や設備を持つ駅は減ってきているとは言え、まだ全国に多く残されていますが、美作土居駅は簡易委託での営業が続いており、窓口が生きているというのが貴重な点です。窓口には「JR西日本乗車券発売所」と表示され現役、もちろんこちらはなくなっていますが「手荷物・小荷物扱所 携帯品一時預り所」という大きな駅でも見ることのない表示も残されています。

窓口の表示が残る
窓口の表示が残る

また、人がいる駅だけに日々の清掃がもきちんとなされていたり、美作国建国1300年祭(2013)のときの写真も飾られていたりして、完全な無人駅にはないような人のぬくもりを感じます。

宿場町へ出かけよう

駅前に出ると、「出雲街道土居宿を後世にのこす会」が設置した「出雲街道土居宿跡案内図」の大きな看板が目につきます。土居は播磨との国境のそばの宿場として、宿場としての規模は美作国でも最大級だったという町でした。当時の建物等はほとんど残されていませんが、歴史的な見どころは多数あります。(駅の紹介が長くなったため、そのご紹介は次回に回します)

出雲街道土居宿跡案内図
出雲街道土居宿跡案内図

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