【後醍醐天皇伝説の地】雲清寺跡・種の駐輦地碑

津山市種地区は中世の出雲街道が通っており、前回ご紹介した洗顔清水の他にも後醍醐天皇の伝説地が続きます。

雲清寺跡の碑

後醍醐天皇は雲清寺という寺に立ち寄られました。これは『増鏡』にも記述があります。雲清寺は焼失してしまい、室町時代中期に現在の清眼寺として院庄地区に再興されています。元の雲清寺の場所ははっきりとはわからないのですが、幕末の国学者である平賀元義らが推定した場所に石碑が建てられています。その場所は吉井川に注ぐ荒神川と皿側に注ぐ種川を分ける小さな峠の頂上付近で、後醍醐天皇が『久米のさら山越えゆかん』と佐良山で山越えをしたことを歌に詠んでいることと合致します。

なお、この石碑は県道449号から少し南に入った田畑の中の目立たない場所にあり、畦道を通っていくことになります。見学のために通らせていただくのは構わないと思いますが、訪れる際はご配慮をお願いいたします。

雲清寺の推定地の碑
雲清寺の推定地の碑

[公共交通でのアクセス]

あさひチェリーバス「佐良山診療所口」下車 約3.0km

津山線「佐良山駅」下車 約4.3km

後醍醐天皇駐輦地碑

種川の谷に移り、雲清寺の推定地から800mほど下ると県道沿いに後醍醐天皇駐輦地碑があり、県道から一段高い場所に立派な石碑があります。碑文は「後醍醐天皇御製 ききおきし 久米のさら山 越えゆかむ 道とはかねて 思いやはせし」で、後醍醐天皇の歌碑となっています。古くから多くの歌に詠まれた「久米のさら山」について、自らが通る道になるとは思わなかったという後醍醐天皇の正直な思いがストレートに伝わってきます。

この碑は大正15年(1926)に造られたもので、美作市にある杉坂峠やあぶみ岩、口漱ぎの泉の碑と近い時代のものです。地元が史跡の保存会を立ち上げて寄付を募ったところ、村内や近隣町村だけでなく遠方からも寄付があり、目標金額を大きく上回る寄付が集まったそうです。出雲街道の沿線やその周辺地域に多数ある後醍醐天皇の隠岐遷幸の伝説地の中でも、これほど史跡整備が盛り上がって立派な碑がある場所は多くはなく、「久米のさら山」の歌の存在、『増鏡』に記述があることがこの場所の存在感を高めているような気がします。

後醍醐天皇駐輦碑(歌碑)
後醍醐天皇駐輦碑(歌碑)
案内板
案内板

[公共交通でのアクセス]

あさひチェリーバス「佐良山診療所口」下車 約2.2km

津山線「佐良山駅」下車 約3.5km

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