【後醍醐天皇伝説】洗顔清水
現在の津山市街は、江戸時代に入って美作国(のほとんど)を与えられた森藩が津山城と城下町を整備したもので、付近の出雲街道が現在のルートで固まったのも江戸時代初期です。それまでの出雲街道は津山駅の南にある山々を隔てた南の谷筋を通っていました。そのため、後醍醐天皇の隠岐遷幸にまつわる伝説も津山市街にはほとんどなく、南の方に多くあります。
後醍醐天皇が使用された清水
津山市の南部は山がちな地形で集落の数も少ないですが、荒神川と種川が作る谷に県道449号が通っており、これが中世の出雲街道の道筋です。東から荒神川の谷を上ってくると、広域農道(美作やまなみ街道)との交差点の南に、戦国時代、備前の宇喜多氏が美作に進出するための拠点としていた荒神山城跡があり、中世までは美作国の南の要所の一つであったことを感じさせます。
ここから小さな峠を越えていく手前にあるのが洗顔清水です。日照りが続いても涸れることがないという湧水で、後醍醐天皇はここで顔を洗われたという伝説が残されています。現在も夏でも冷たい水は湧き続けています。
周辺は公園としてきれいに整備されており、県道側には城下町エリアと同じようなフォーマットの案内板も設置されています。
さら山時代祭も開催される
この洗顔清水から西には後醍醐天皇の駐輦地もあり、「久米のさら山」とも詠われた山の麓を通って津山盆地に出ていきます。この周辺地区で特筆されるのが、毎年11月に開催される「さら山時代祭」です。地元の地域団体が中心となって行うこの祭の名物が後醍醐天皇の隠岐配流の様子を再現した時代行列で、この洗顔清水まで約3kmに及ぶ行程で行われた年もあり、洗顔清水の公園にも屋台が出たそうです。(祭の開催内容は年によって変わりますので、ネットにもアップされるチラシ等で事前にご確認ください)
[公共交通でのアクセス]
中鉄北部バス「川中山王前」下車 約3.5km
津山線「佐良山駅」下車 約4.5km